子供心

夜のつぶやきです。

 物心ついた頃から、「ストーリー」を書くのが楽しかった。

 大人の書く小説や詩みたいな、「メッセージ性」や「創作性」や「自己表現」のためとかじゃなくて、ただ飼い主に捨てられたハムちゃんが、野良猫と出会って、一緒にマンホールの中に落っこちて、そこで色んな冒険をして、不思議な動物に会ったりして、ミュージカルみたいに歌いだしたりして←不思議の国のアリスのパクリっぽいw

 あるいは、友達がいきなり女の子がいて、トップハットとか、紳士みたいなお洋服を身に着けたしゃべる猫がいきなり現れて、その登場人物たちの友情を描いたり←ジブリとハリポタのパクリっぽいw

 でもただ楽しくて書いていて。

 大人になって、とくにこの病気にで孤独になって、仲間といると、孤独が解消されて、そんなリアルな「喜び」があったり、夏場になってひまわりの種を植えたり、そういう「小さい幸せ」とか、ハムスターを見て「癒し」を感じたり、私なりに目標もあったりして、それを少しずつ乗り越えて前に進む「達成感」とかあるけど、それはあえて言えば裏っかわに毎日の「つらさ」があって感じるものというか。

 でも子供のころは、とくに私なんて能天気な子供だったし、そんな大人なつらさに目覚めるのはほんとに遅かったし(というか発症してやっとそういう意味で成熟したというかw)

 ただ純粋に、自分の手で作っていて、それもなんか「自信がつくから」「生きがいを感じるから」とかこーしょーな心理が裏にあるからとかじゃなくて、ただ「楽しくて」。

 でも大人になると、余裕がなくなっちゃって、そういう「楽しいから楽しむ」みたいなものに時間を作るのもあるし、時間があっても、それが楽しいと実感できる子供心を忘れているかもしれない。

 ハムちゃんのチョコちゃんと猫ちゃんの(名前忘れちゃったよ・・・)の冒険のお話しをまた書けたらなぁ。

 大人の悪い癖だけど、そういうこともまた意味というか、深みをもって大人的に解釈したくなっちゃうんだけど、人生もそういう楽しいから楽しむみたいに冒険したいと思ってしまう。

 子供の想像力とクリエイティブさって、忘れたくないな。でも私がもし徒然と「ストーリー」を書こうとしたら、色んなことを意識してしまって、それに何かを求めてしまって、それ以前にそういう純粋なクリエイティブさを失ってしまって、筆が止まったままになるかもしれない。それが怖いな。

 私の中には、そういう子供心が残っているのかな。そこに呼び掛けて、静かに大人の私が救いを求めているように思える。

                                                       りさ

 

りさ 2017/06/11(Sun) 00:53 No.1259
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