はあー・・・
雑談掲示板にも書きましたが、私は今、三年ぶりに大学に戻る手続きをしています。
それが、つい先日、私の大の憧れであるTomio Koyamaという美術館で、アルバイト募集をしているのに気づき、すぐに履歴書を送りました。前も正社員の募集をしていて、履歴書送って、その時は落ちちゃったんだけど、今回は大卒とかの条件が全然なくて、唯一の条件が「明るく元気な方」なんだもの。
・・・しかしそれが、よくよく詳細を見てみると「週五日制」「11時〜19時」の仕事で、これでは時間的に大学と両立できないことが判明。
どっちか選べないとだめなのかなあ・・・まあ、まず採用されてから考えよう、と思っていたら、
昨日四歳からの幼馴染の友達たち数名と会って、すごい自信喪失をしてしました(涙)
私は躁うつ病の人と関わる前はひどいひきこもりで、人間関係がなかなか続かないのが悩みの種だったんだけど、
理解のある同病者との関だと関係が続くことがわかって、じゃあそうゆう関わり合いを持てる毎日が、「健常者」との関係、社会参加を保てることにつながるかなあ、と期待していたんだけれど・・・
昨日久々に「健常者」(と言っても家族のように馴染みのある友達たち)と会って、ほとんど会話が成り立たなくて・・・。
中学、高校のころから頻繁に会ってたメンバーなのに、この病気が発症してから、このような同窓会に四回ほど行って、四回全部体調を崩して、早退して・・・
今回も例外じゃなかったんです(泣)まあ、最後までいられたんだけれど、
私は人と会うと「アパシー症状」が起こってしまうのが常で(アパシー症状とは、うつの悲しいとも違って、感情表現、自己表現自体できにくくなってしまう。だから、ちょっとにこにこしてそこに座ってるだけで、言葉もほとんど発せられないし、自分が考えてることも上手く伝わらない。)こうゆう症状持ってる同病者の方、ほかにもいるのかな?少女漫画では「人形病」とか呼ばれているけど・・・(苦笑)
とにかく、同病者と関わる毎日を過ごして人間関係に少し自信を持てて来たのに、それで同時にアルバイトと大学にまで申し込んだのに、
昨日は、自信喪失でした・・・(−−;)申請はしたけど、ほんとに、健常者の中でちゃんとやってけるのかなあ。
健常者・当事者って区分けをすること自体あまり好ましいと感じない人もいると思うけれど、私にとっては思想的な価値観とかのうんぬん以前に、ただの苦い現実で・・・その区分けは。
Tomio Koyamaは本当に夢のようなお仕事だけど、失敗しても自分以外あまり迷惑のかからない大学一学期にチャレンジ!の方が、妥当かなあ・・・でも、Tomio Koyamaだよぅ(泣)宇宙飛行士が月に行けることと同じくらい夢実現!だもの(謎笑)
うー・・・。私の人生今までずっとの悩みですけど、最近強く痛感したので、ここに綴ってみました。健常者・あるいは病気にあまり理解をもてない人々・環境では自分がなかなか機能できないって、
同じ悩みを持っている方いるのかなあ。
‐りさ
僕も若い頃、不安障害で、異常に緊張して、ちぐはぐな会話をしていました。
月並みですが、対人経験を沢山積む事。
アパシーのような神経症者の特徴として、自意識過剰になり、内向きになる気質なので、意識的に相手をさりげなく観察して、外向きにすること。
そうすれば、相手の本音や演技も分かるようになってきます。
相手の気持ちが正しく分かると対人不安でぎこちなくなるよりも、現実にどのように反応して会話したらいいか、瞬時にできるようになります。
女子同士の会話は男子同士より気を使っていますね。
りささんの文章表現能力は高いですよ。
相手の顔の表情と声と態度で気持ちを察すればいいです。
自分の気持ちを分かってほしいは相手の勝手なので、ほどほどにしたほうがいいと思います。
自分の気持ちの全部を伝えるのは無理なので、5割ぐらい伝われば上出来ぐらいの心構えでいいと思います。
>
私は人と会うと「アパシー症状」が起こってしまうのが常で
>
これで、これまでのりささんの投稿文面文章表現力と実際対面したときの会話との私の印象違いの理由が解った気がします。
ステレオタイプ的発想では、日本文化の特徴として「横並び文化」「他人を見て自己表現」があります。他方、欧米では「他者は違う文化を持っている」「だから討論(ディベート)・会話して理解しようとする」文化があります。
自分は、帰国子女でりささんは、ハーフでこれまでに学校で培ってきた会話・人との接し方が、日本社会では不適応と無意識に感じていて、それがこの症状が発症している原因の一面もあるのでは?と、医者でもないのに思いました。
と、いうのも似たような症状が、私にも過去2度の帰国時にあったからです。現在は、ある意味俺は「変なおじさん」と、開き直って自己表現・他者と接してます。無理に他者と同調したり、共通点を見出してそこから会話をするというスタンスをとってません。
こればかりは、私もそうでしたが儀助さんがおっしゃるように『場数』『場慣れ』することだと思います。
他方、多くの文学作品や書籍、雑誌記事など活字読書するのも
有効かも知れません。
あせらず、あきらめず、継続されてください。
求職に関しては、何事もトライされたらと思います。トライせずに後悔するより、トライして後悔する方が、そこから何か人生を学ぶ気がします。上記の『場慣れ』に通じるものがあると思います。(余計なおせっかいかも)
チャンスは、逃すなと、思います。(自戒の念こめて)
ではまた
丁寧なお返事、ありがとうございます。ちょっと体調がすぐれてないので、一応の短いお返事になります。
うーん、まず問題の症状である「アパシー」について私の説明不足だった気がします。あるいは、自分の症状を一般的な「アパシー症状」と表現するのが、多少ずれているのかもしれせん。
アパシー(というか私の症状は)、儀助さんが述べられたような、対人恐怖あるいは不安・焦躁感や、だいさんが述べたようなカルチャーショックとは性質が違うと思います。
ちなみにだいさんと会った時に私がアパシー症状になったことは、ないですよー(笑)なんか私の空気読んでないバカ明るい感じ、あれは国籍問わず私の地の性格です(^^;)
本来の自分の気持ちや考えが環境の変化や人間関係で実際(不安やカルチャーショックという形で)変わる、というよりかは、本来の自分が変わらないのに
なぜかその本来の自分が引き出せない。「人がこわい」などの思想、不安・焦躁感などの感情の弊害が先に来るというよりかは、まず本来その人たちといるのはまったく自然なことだし、そう感じているのに、(ちなみにその同窓会に来たのは男女両方いたし、英語も日本語も話せる私と同じハーフでしたし、何より馴染みのある友達でした)
その「自然、健全」な思想や感情を表現する力がなくなっちゃう、って感じです・・・。つまり「感情」の支障でなく「感情表現」の支障ですね。
でも確かに結果的に二次的症状として、人と会うことに対して不安になったり、境界線を感じるようになるので、それを克服するには、
儀助さんやだいさんが言うように、チャレンジのみだと思います。本場での「場馴れ」をするためにも、躁鬱病者の間でリハビリ的に「人馴れ」するのもいいことだと思っています。
貴重なアドバイス、ありがとうございます。励みになります。
ちなみに、儀助さんとだいさんの「アパシー」の定義とは、どうゆうものでしょうか?私は前から自分の症状を説明する時、この言葉を正しくつかってないのでは・・・と感じてたので、ほかの人の考えに興味があります。
英語の直訳では「無感情」という感じですが、私の中ではやはり「感情表現の出来無いさま」という感じでしょうか。
ちなみに、私はよく、文章上の私と実際会った感じが違う、と言われますが、それはみんなもそうだ思いますが「外の自分」「内の自分」の違いだと思います。性格に裏表があるっていうわけじゃありませんが、(笑)やっぱり文面だと人にあまり見せない内面的な自分が出せるという面があると思います。だから儀助さんが言うように、そのような内面的な、ディープな理解をカジュアルなコミュニケーションでぜんぶぜんぶ求めるのは控えた方がいいかなあ、とも思いました。
それとつなげて、だいさんのアメリカ・日本のコミュニケーションにあたっての相違も、興味深いですね。日本人は社交的な場では「飛び出た釘」にならないようにする、という性質があるかもしれませんが、その分個々の内面世界は充実している気がします。アメリカでは「個性individuality」が社交的な場でも評価されますが、ただ意味もなくショッキング・パワフルなことをしたり、「個性をもつための個性」みたいな感じで、日本の「秘められた個性」ほど、個人的には真実味を感じられません。
あら、なんか短く書くとか言ってずいぶん脱線しながら長く書いてしまいました(^^;)精神障害と人間関係、どう自然な形で両立させていくか、大きい課題ですね。今のところ儀助さんとだいさんがアドバイスしてくださったように、とにかく実践してみマス。
‐りさ
僕も若い頃、不安障害で、異常に緊張して、ちぐはぐな会話をしていました。
月並みですが、対人経験を沢山積む事。
アパシーのような神経症者の特徴として、自意識過剰になり、内向きになる気質なので、意識的に相手をさりげなく観察して、外向きにすること。
そうすれば、相手の本音や演技も分かるようになってきます。
相手の気持ちが正しく分かると対人不安でぎこちなくなるよりも、現実にどのように反応して会話したらいいか、瞬時にできるようになります。
女子同士の会話は男子同士より気を使っていますね。
りささんの文章表現能力は高いですよ。
相手の顔の表情と声と態度で気持ちを察すればいいです。
自分の気持ちを分かってほしいは相手の勝手なので、ほどほどにしたほうがいいと思います。
自分の気持ちの全部を伝えるのは無理なので、5割ぐらい伝われば上出来ぐらいの心構えでいいと思います。
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私は人と会うと「アパシー症状」が起こってしまうのが常で
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これで、これまでのりささんの投稿文面文章表現力と実際対面したときの会話との私の印象違いの理由が解った気がします。
ステレオタイプ的発想では、日本文化の特徴として「横並び文化」「他人を見て自己表現」があります。他方、欧米では「他者は違う文化を持っている」「だから討論(ディベート)・会話して理解しようとする」文化があります。
自分は、帰国子女でりささんは、ハーフでこれまでに学校で培ってきた会話・人との接し方が、日本社会では不適応と無意識に感じていて、それがこの症状が発症している原因の一面もあるのでは?と、医者でもないのに思いました。
と、いうのも似たような症状が、私にも過去2度の帰国時にあったからです。現在は、ある意味俺は「変なおじさん」と、開き直って自己表現・他者と接してます。無理に他者と同調したり、共通点を見出してそこから会話をするというスタンスをとってません。
こればかりは、私もそうでしたが儀助さんがおっしゃるように『場数』『場慣れ』することだと思います。
他方、多くの文学作品や書籍、雑誌記事など活字読書するのも
有効かも知れません。
あせらず、あきらめず、継続されてください。
求職に関しては、何事もトライされたらと思います。トライせずに後悔するより、トライして後悔する方が、そこから何か人生を学ぶ気がします。上記の『場慣れ』に通じるものがあると思います。(余計なおせっかいかも)
チャンスは、逃すなと、思います。(自戒の念こめて)
ではまた
丁寧なお返事、ありがとうございます。ちょっと体調がすぐれてないので、一応の短いお返事になります。
うーん、まず問題の症状である「アパシー」について私の説明不足だった気がします。あるいは、自分の症状を一般的な「アパシー症状」と表現するのが、多少ずれているのかもしれせん。
アパシー(というか私の症状は)、儀助さんが述べられたような、対人恐怖あるいは不安・焦躁感や、だいさんが述べたようなカルチャーショックとは性質が違うと思います。
ちなみにだいさんと会った時に私がアパシー症状になったことは、ないですよー(笑)なんか私の空気読んでないバカ明るい感じ、あれは国籍問わず私の地の性格です(^^;)
本来の自分の気持ちや考えが環境の変化や人間関係で実際(不安やカルチャーショックという形で)変わる、というよりかは、本来の自分が変わらないのに
なぜかその本来の自分が引き出せない。「人がこわい」などの思想、不安・焦躁感などの感情の弊害が先に来るというよりかは、まず本来その人たちといるのはまったく自然なことだし、そう感じているのに、(ちなみにその同窓会に来たのは男女両方いたし、英語も日本語も話せる私と同じハーフでしたし、何より馴染みのある友達でした)
その「自然、健全」な思想や感情を表現する力がなくなっちゃう、って感じです・・・。つまり「感情」の支障でなく「感情表現」の支障ですね。
でも確かに結果的に二次的症状として、人と会うことに対して不安になったり、境界線を感じるようになるので、それを克服するには、
儀助さんやだいさんが言うように、チャレンジのみだと思います。本場での「場馴れ」をするためにも、躁鬱病者の間でリハビリ的に「人馴れ」するのもいいことだと思っています。
貴重なアドバイス、ありがとうございます。励みになります。
ちなみに、儀助さんとだいさんの「アパシー」の定義とは、どうゆうものでしょうか?私は前から自分の症状を説明する時、この言葉を正しくつかってないのでは・・・と感じてたので、ほかの人の考えに興味があります。
英語の直訳では「無感情」という感じですが、私の中ではやはり「感情表現の出来無いさま」という感じでしょうか。
ちなみに、私はよく、文章上の私と実際会った感じが違う、と言われますが、それはみんなもそうだ思いますが「外の自分」「内の自分」の違いだと思います。性格に裏表があるっていうわけじゃありませんが、(笑)やっぱり文面だと人にあまり見せない内面的な自分が出せるという面があると思います。だから儀助さんが言うように、そのような内面的な、ディープな理解をカジュアルなコミュニケーションでぜんぶぜんぶ求めるのは控えた方がいいかなあ、とも思いました。
それとつなげて、だいさんのアメリカ・日本のコミュニケーションにあたっての相違も、興味深いですね。日本人は社交的な場では「飛び出た釘」にならないようにする、という性質があるかもしれませんが、その分個々の内面世界は充実している気がします。アメリカでは「個性individuality」が社交的な場でも評価されますが、ただ意味もなくショッキング・パワフルなことをしたり、「個性をもつための個性」みたいな感じで、日本の「秘められた個性」ほど、個人的には真実味を感じられません。
あら、なんか短く書くとか言ってずいぶん脱線しながら長く書いてしまいました(^^;)精神障害と人間関係、どう自然な形で両立させていくか、大きい課題ですね。今のところ儀助さんとだいさんがアドバイスしてくださったように、とにかく実践してみマス。
‐りさ