「世間の目」とわたし

みなさん、

躁のときとかに人の前で恥ずかしいこと、うつの時後悔しちゃうようなことして、うつの時は「もう一生あの場にもどれない〜涙」と感じたことありません?

私はその後調子が改善すると、恐る恐るそこに戻ります(この場合はネット上のフェイスブックやメーリングリストなどです)
大抵そこの人たちはあえて私の過去や病気にはふれず「ひさしぶりだね」と声をかけてくれます。

でもフェイスブックとかネット上じゃなくても同窓会とか学校など、みんなは毎日顔を合わせて関係を続けているのに、

私はどんな場でも、「たまに会うやつ」・・・
なんだか寂しいです。
しかも「たまに会うやつ」だけじゃなくて「会うときは変なやつ」と思われてたら・・・涙

みんな、人間関係を持続する元気、そして毎日向かう場所があって、うらやましい・・・(*==)


もちろん家族や近い友達、あとウエーブの人など、「毎日の私」を知っていて、受け入れてくれる人はいますが。

世間的にまともじゃないというか、存在がうすいって、気にしちゃいます。近い人が受け入れていてくれれば、一般の人や、「世間の目」を気にするのなんてバカバカしいのかもですが。

どうしても・・・。

毎日を活発に「ふつう」に生きられている同級生のみんなが、たまにうらやましくて仕方がないです。

じゃあ、つらいからフェイスブックとかやめればいいかっていうとそうでもないし(>−<)

うじうじつぶきやきでした(^^;)

−りさ

りさ 2012/10/30(Tue) 11:28 No.716
Re: 「世間の目」とわたし   りょうこ
2012/10/30(Tue) 14:33 No.717
躁の時した事を鬱の時に思い出すと、死にたいくらい後悔します。でも人間って忘れっぽいし、周囲は自分が思っているより、たいして気にしていないみたいですね。

私は躁鬱病だということは家族以外には中学からの女友達と、こないだ電話があった社会人になってからできた男友達にしか言った事がありませんが、打ち明けたとき二人とも、それってどうゆう病気?と親身になってくれましたが、中学からの友達はふーんそうなんだ、といった感じで、男友達のほうは、あれくらいじゃ目だたねえよ、でもお前(タメで友達なのにお前呼ばわり)たまに調子乗るからそん時は俺が注意してやるよ、と言ってくれました。

中学からの友だちにはうつの時どんよりした面をみせてしまった、男友達には躁の時みんなの前でやりたい放題した面をみせてしまったとずっと気にしていたのですが。

もちろん病名を言っても私に対する態度は変わりませんでした。

それからりささんはひきこもりではありません。(関東ウェーブの書き込みを読むと)家にいられるから家にいる、その様に私には思えます。世間的に見ればこれから働く事も毎日持続して何らかの活動をする事も可能だと見られますよ。世間とは良くも悪くもありません。

それからフェイスブックですか、ほぼみんないい面しか掲載しないと思いますよ。実際にはそれぞれの苦労や隠している事もあると思います。ドラマと同じで現実とは違うと思います。

長くなりました。相談内容と回答はずれてるかもしれませんが、私がりささんを応援してる事は確かです。

♪君を見てると昔の僕を見るようで byユニコーン
Re: 「世間の目」とわたし   りさ
2012/10/30(Tue) 14:44 No.718
そうなんです。周りは対して気にしていないんです。
でも贅沢を言うとその「無関心」がつらいっていうのもあるんですよね(^^;)

ああ、分かります。私も幼稚園+小学校と続く学校に8年間通って、卒業生なんて20人もいませんでした。その中でも四歳からの幼馴染の子たちが何人かいますが、私が大人になってどう変わろうと、彼らにとっては「いつも変わらぬ昔からのりさ」みたいです。
子供のころからの知り合いは、おたがいの純粋なころを知っているから、いくら大人になって汚れて(?)も偏見なく見てくれるんでしょうね。

ありがとうございます。そうやって評価していただくと、希望が湧きます。
極端なひきこもりとは違いますね。
自分の部屋からも出られなかったような時もありましたが、そうゆうのが何年も続くのが本当のひきこもりかもしれません。

そうですね。
みんな仕事ができていたり、結婚していたりして、そうゆうのも苦労があるけど、わかっているけどぉ
私の孤立する、何もできないという苦労は特別、なかなか理解してもらえない・・・とひがみます。まだ小娘ですね〜。

ま、だからウエーブがあるってかんじですが^^理解してくれる方はここにいっぱいいます。

レスありがとうございました。

−りさ
Re: 「世間の目」とわたし   りょうこ
2012/10/30(Tue) 16:35 No.719
うーん、私も同じ様な事を考えていたけど、私の場合社会人になってからの発病だったため、アルバイトなどの経験もあったし、こんな状態なら働こう!と思ってうつでも働きだしちゃいましたね。

初めての躁の後は、対人恐怖症になりひきこもりましたがそれも半年で親や医者がまだいいといっても働いてましたね。苦しかったけどそれらの実体験が免疫を強くしていったと言うべきか‥。

りささんは若いしエネルギーがあるんだから、そんなふうに考えるのはあたりまえだよね‥。何かきっかけがあれば変われると思うんだけど‥。働きだすと体内リズムも自然に整ってくるし。でも働くにはストレス耐性が必要だし‥。うーん‥。

考えちゃたので話言葉になってしまいました。おばさん何言ってんだくらいで聞き流しておいて下さい。
Re: 「世間の目」とわたし   りょうこ
2012/10/30(Tue) 17:05 No.720
(補足)『社会人』とは、私は就職してから、という定義で使いましたが、夫に言わせると、赤ちゃんから社会人なんだそうです。
Re: 「世間の目」とわたし   ich
2012/10/30(Tue) 19:01 No.721
横レス失礼します^^;

>りょうこさん
「赤ちゃんから社会人」ってすてきな考え方ですね^^

私は学生時代に発病したため、その後、院生・
アルバイト・派遣・無職…、と転々としてしまい、
いわゆる「社会人≒会社員」経験がないのが、
とてもコンプレックスでした。

今後、社会で生きていく上で、何か重要なものが
自分には身についていないのではないか、みたいな…
(実際に、自称カウンセラーから、そう暴言をはかれた
こともあります)。

勇気づけられる言葉です。ありがとうございました^^
Re: 「世間の目」とわたし   りさ
2012/11/01(Thu) 17:55 No.723
りょうこさん、

なんだか私のことでいろいろ考えて悩んでくださってありがとうございます。(^^。)

昨日同病者のお友達と「人並みの幸せ」について話しました。
社会人になってお仕事するのもそれの内に入るのかもしれません。

矛盾した考えかもしれませんが、
私は社会人になれない自分でもいいんだ、と今の自分を肯定しながらも、
でも時間がたって、考えや心が成熟するにつれ、社会へ貢献できる何かも見いだせていけるだろう、という希望も失わないようにしています。

よく若者に言いたいことがあって、それは、
人並みの幸せ(就職、結婚・・・)に手が届かなくても、
自分を否定しないでね!人とちょっと違う形でも、自分に合った幸せの形はきっと見つかるはずーー

なんて下手なJ−ポップの歌詞みたいですが(^^;)


ichさんと同感です。「赤ちゃんから社会人」とはいいお言葉ですね。

社会人としての義務を果たしていない・・・このことでどんなに苦しめられたか。

りょうこさんのおっしゃるとおり、みんな赤ちゃんのころから社会の一員になる権利はありますし、一般的のいう「社会人」(仕事をする人、社会に貢献する人)が今のところできなくても、その権利があるのには変わりありません。

私は成人してから「社会人」になるより「文化人」になることをがんばろうと思っています(他の人を人間的に扱い、モラルをしっかりもった文化的な人)
ほかの社会の人にも、私たちすばらしい文化人を見習いなさい!などと思ったりw

ではでは^^ノ

-りさ
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