同病者との絆

今日、同病者の仲間とぶつかり合って、躁鬱病者の関係の矛盾について、考えてた。

もちろん前提として、おたがいの症状にある一定の共感や理解をもてるけど、 とくに親い関係になって、同じ環境や状況で活動するようになると、それによるストレスを抱える時期も、かぶってしまう。

同病者として、おたがいがどうゆう心境にいて、その症状がどれほどつらいか、どれほどコントロールできないか、充分理解してるのに、痛感してるのに、

皮肉にも、同時に調子が悪くなってしまうと、いくら頭で理解していても、調子が悪くてその理解を実行に移す心の余裕をもてない。つまり、相手の気持ちを受け止めて、「大丈夫?」とやさしい声をかけられないほど、自分自身の精神状態を支えるので精一杯。

逆に自分自身が相手に気持ちを受け止めてもらいたい立場にいて、 おたがいがおたがいの症状を受け止められずにいると、 「何で受け止めてくれないの?」「同病者として、理解してくれていたはずなのに・・・」と症状の悪化につながり、悪循環になったり・・・。

私が考えるには、躁うつ病の一番の悩みは「孤立」と「周りの無理解」だと思うんだけど、

でもやっと二つともの悩みを同時に解決してくれる「同病者との関係」がどんどん親くなると、上記のような矛盾が生じる。

私は、躁うつ病者という集まりが、寛容性や理解や人間関係について新たな、広い観点を社会に魅せる素質があると信じてる。 でも、その素質を発揮するためには、ここで話す矛盾を乗り越えればいけない。どうやってそうすればいいのか・・・

やっぱり、一番ひどい症状のぶつかり合いも含めて、ありのままの私たちをおたがいに受け止めあい、許し会うことから始まるのかなあ。実際今日その人と仲直りした時、なんだか大きい山を乗り越えたような、絆がもっと深まった気がいっぱいした。

自分のような立場にいる人は、頭の中では常に受け入れられる姿勢にいるけど、やっぱり気持ち的には自分のことで精一杯になっちゃうこの病気。そんな心境にいる人が集まって絆を深められたら、逆にすごいパワーと許容力を生み出すことが出来るんじゃないかな!そんな気がする。

私たちの在り方から、私たちよりも数倍心の狭い社会が学べることがいっぱいあるなあと思えると、 今親い同病者と、もっとつながりを深めていきたいと思えてくる。

ぶつかり合いは人並み以上に大変かもだけど、人並み以上の絆を作るために、躁うつ病者との関係は、努力していきたい。

-りさ

りさ 2011/06/15(Wed) 23:42 No.224
処理 記事No 暗証キー

- JoyfulNote -