昨晩かな、ロボットについての特集をテレビでやっていた。
感情を表せるロボットって言うのもいて、不思議とそいつに接触する人は感情移入をするのが可能らしい。
ロボット研究者には二つタイプがいて「ロボットはあくまで人間のために役立つツールのようなもの」と思う人と「ロボットも、外見的にも感情的にも、だんだんと人間に近づいてく素質があるだろう」と思う人。
一人の人なんて、「いつかロボットも人権を持てるようになるだろう」とまで言っている。
ロボットが感情をもつとして、一体いかなるものになるだろう?
というとまあ、実際感情をもつのは不可能としても、接触する人間がロボットをあたかも同じ人間かのように思ってしまうほど感情移入してしまう、という意味で。その「ロボット人権宣言の研究者」はこれを
「つまりロボットが”人間になる”時がきたら、そのロボットを人間が処分できなくなった時だろう。とんかちは役立ち、役立たなくなったら処分するのが当たり前だが、人間は役に立たなくなっても、生きる価値のある人間であり、なかなか排除できないものではないか。」
と私の解釈も含めてこのようなことを言っていた。
人間のような感情をもつロボットは、つまり「完璧な感情」をもつのだろうか。よくSFとかでロボットは人間が完璧になってしまった、不自然な形、と批判しているようだが、
感情障害をもつ私としては、「完璧な感情」についてとても不思議に思うし、悩みの種である。
ガタカという映画や、狂史郎2030という漫画でも、ロボットではないが、人間のDNAを改良し「完璧な人間」を作ることに成功した近未来を描いている。両方の作品とも、その「完璧」さへの批判を含めている。
フロイトやラカンのような精神分析者は、他の生体科学と違って、人間の感情・精神だけは「謎」に包まれていて、解明しきれない面がある、と言っている。
感情障害を担う私たちにとって、感情の治癒とは、どのようなものを意味するのだろう。せめて私にとって「完璧」さ(それがどのようなものかも、よく分からないけれど)とは違うものな気がする。
私たちは、その精神の「謎」、(一番生体の中で人間的な面?)によくも悪くも触れている気がする。それが人間の心理を解明するにあたって重要なことでもある気がする。
さきほどの研究者が「僕は人間をより理解するために、より人間に近いロボットの製作に努めている」と言っていた。
しかし、ロボットに「無意識」「滞在意識」「謎」は持てるのだろうか。今現在の人々は、私たちのような心理状態に感情移入できない段階にいるけど、そのような心理状態をロボットで再現できるのだろうか。
そのテレビに出てたロボットは、とてもリアルに多面的な「表情」を持ってた、けれど、
感情は外観の「表情」だけではなく、その裏に隠された、「心」の表れであること、それは生身の人間にしか持てないであろうことを、
なんとなく考えている自分でした(^^)
でもロボット科学は、なぜかとてもおもしろいぞ!その自分の中でも気持ちの矛盾で、お悩み中です(^^;)
「ロボットはいつか人権をもてるだろう」とか言うけど、躁うつ病者は実際社会に認められてない面があるから、なんか複雑な気持ち・・・。
−りさ