新しい年になって〜、ほとんど外出出来ないうつです。
春のご挨拶申し上げます。
私の場合、心の痛みがきついです。
心がわしづかみされたり、切り刻まれたり、焼かれたりするような痛みです。呻いてしまう感じです。
そのようなかた、おられますか?
2年くらい鬱が続いている1型、男です。一番ひどい時、同じような状態になりました。ただただ寝ていることしかできないで、無駄に時が過ぎていくのをやり過ごすことしかできない状態に心が切り刻まれるようでした。過去に自分が犯した誤りも次々と思い出され痛みに加わります。まだ鬱ですがそれでも時間の経過とともに心の痛みは薄れてきました。あずささんの心の痛みが薄れていくことを願います。
isaoさんは、双極性T型なのですね。わたしは、うつ病から双極性U型の診断名になってから5年が経とうとしています。
isaoさんは、2年も鬱が続いているとのこと、大変です。T型のほうが、気分の波の振り幅が大きいと聞いています。しんどいです。私は、混合状態かもしれません。
isaoさんもおっしゃるように、うつがひどくて寝ているしかないというとき、つらいですよね。夕方5時を告げる音楽が流れるとき、なんとも知れない気持ちになります。切なくて悲しくて。
それと同時に、みんな、どんな5時を迎えているのかなと想いを馳せたりします。
動けないときには、明日の予定を立てるのも難しいから、未来よりも過去のほうに意識が向いてしまいますね。
「あっと叫んでろくろっ首」という言葉があるのだそうです。眠れない夜などに、昔の失敗や恥ずかしかったことを急に思い出して、思わずあっと叫んで、あのろくろっ首お化けみたいに首が伸びてしまうという意味らしいです。
無駄に時が過ぎていくと感じたり、過去のことを次々思い出したりするときの心切り刻まれる思い、共感します。ほんとうにつらいです。
うつのときには、気を紛らわしにくいですね。
焦ったり、自分を責めたり、時の流れや世の中の変化の速さに圧倒されたり、生きるって大変なだなと思います。
世間の片隅の小さな家の一室に独りでいるだけなのに、心の中では色々なことが起こっているのですよね。未だに、わたしは自分の状態が理解も把握も出来ないです。
今日は、私の住んでいる地域は、初夏の陽気です。今、アイスコーヒを飲みながら、これを書かせていただいています。
人との交流がほとんどなくなっている中、こうしてお声をかけて頂くことは、繋がっているという感覚を取り戻せて、意識が広がって、とても有難いです。わたしの痛みが薄れて行くことを願ってくださって有難うございます。
isaoさんにも、平安がありますようにと、わたしも願っています。
感謝
あずさ
私は鬱状態が5年続きました。めちゃめちゃ辛かったです。
特に春は、明るく暖かい日差しの中、人々が新しい生活に向かって進みだす時に、自分はといえば一日中何もできず、家から出られなくて・・・
情けなくて、惨めで、将来どころか明日にすら希望が持てず、主治医のいつか治るからという言葉も全く信じられず、心が痛くて痛くて、一日生きることが拷問のようでした。
あのころの辛さを思うと、「自分、よく頑張って生き延びたねえ!」と過去の自分に言ってあげたい。
だから、あずささんにも言わせてください。
いつ終わるかわからない辛さの中で、心の痛みに耐えて生きているあずささんは、すごくすごく頑張ってます。
元気に働いて、一日のうちに多くの事ができている人達よりもずっと、我慢もしてるし、頑張ってもいます。苦行をして称号をもらうお坊さんより、ずっと苦しみに耐えてます。
今、このような言葉が届くかどうかわかりませんし(私は当時、誰に何を言われてもキレイ事に聞こえました)、こんな言葉で辛さは減らないと思いますが・・・
今の辛い気持ちが去ってくれる日は必ず来ます。それまで、なんとかしのいでくださいますように。
yukoさんお名前はこちらで拝見していました。お話しさせて頂くのは初めてですね。初めまして。
yukoさんは、うつ期が5年も続いたのですね。筆舌に尽くしがたい苦しみでしたことでしょう。「一日が拷問」というの、よくわかります。
おっしゃるように春は始まりの季節で、何もできずに家でうつに苦しんでいるのは、さらに辛さを増しますよね。
しかも、わたしは、綺麗に片付いた部屋や病室で、手厚く看護を受けながら、きれいなパジャマを着て、ロマンティックで美しい闘病生活をしているのではなくて、
朝、顔を洗う気にも、髪をとかす気にもなれず、あり合わせのTシャツとジャージパンツとかを着て、散らかった部屋で、ダラダラと情けない姿でぼーっとテレビで同じニュースを何度も何度も聞いていたりします。同居の高齢の母の世話が必要なときだけ、力を振り絞る感じです。(やれやれ)
「情けなくて、惨めで、明日に希望すら持てなかった」というyukoさんのお気持ち、共感いたします。
ひと思いに決着がつくのではなくて、じりじりといつまで続くかわからない拷問を受けている感じです。
以前、体の病気で入院したときには、手術日、退院日、今後の治療、検査などが決まっていて、レントゲンやCTに映る写真、血液検査の数値なども目に見えるので、「〜までは頑張ろう」「〜を改善するために〜をしよう」と頑張れたところがあります。でも、双極ではなかなか難しいです。
yukoさんは、過去のご自身に、「よく頑張って生き延びたねえ」って言ってあげたいとおっしゃっていました。本当にこの病気ではただ生き延びているということが凄いことなのだと思います。
つかみどころもあてもない状況の中、じっと耐えるのは頑張りの中でもかなり難度が高い「頑張り」かもしれませんね。健康であっても老いて行く中でそういう「頑張り」を求められるのでしょうか。
そして
わたしにも「頑張っている」と言ってくださって、とっても嬉しいです。
言葉をかけて頂いたり、ダラダラしているようにしか見えない自分に「頑張っている。我慢している。耐えている」と言って頂くと、萎えたこころにエネルギーを頂けます。逆に、正論を言われるのが一番きついです。
人の苦しみに対するyukoさんの謙虚さを感じます。すごく素敵だなと思いました。
寒暖さの大きい中、
yukoさんも、なにとぞ、お大事になさってくださいますよう。
ほんとうに、思いやってくださって、有難うございます。
あずさ
yukoさん、こんにちは。
ナムル、美味しかったとあり、嬉しかったです。
yukoさんのおっしゃるように、美味しいもの、季節のもの、
とくにそれが安くあれば尚、食べることの好きな私も1日辛い気持が少し晴れます。料理をすることができないほど苦しい時もありましたので、今はそれができて、幸せだと思います。
魚夢さんのホームページを良く読ませて頂くのですが、魚夢さんも現在ダイエット中ですが、先日高い豆腐を使ったマーボー豆腐が絶品だったというのを読んで、豆腐かぁと思い、いつも業務スーパーで安い豆腐しか買わない私が、いつもの5倍の値段の絹豆腐を購入し冷や奴で食べました。同じ豆腐とは思えないクリーミーな感じでたまにはこういう贅沢も良いなと思いました。
料理することも辛い状況にいらっしゃる方も、もしかしたらこの記事をよんでいるかもしれません。自分も何にも興味がなく、風呂にもはいらず、寝ているだけの頃も長くありました。今まさにその状況下にいらっしゃる方には、何が料理だと・・・思われるだろうか・・・
あずささんの記事にレスができません。言葉が出てきません。私が去年の夏入院した時にお言葉を頂き、嬉しかったのですが、言葉が見つからないのです。yukoさんがレスして頂きなんか代弁してもらったようでありがたくおもいました。
私自身が鬱でひどく辛かった時、苦笑するしかないようなアドバイスをたくさんいただきました。余裕がある時には、内容ではなく、声をかけてくれた気持ちだけをありがたく受け取ることができるのですが、へとへとの時には「こんな屁にもならない言葉をかけられても、お礼くらいは言わなくきゃいけない。一言お礼言うのもしんどいのに、迷惑だなあ」と思いましたから。
それから、自分が何かを楽しんでいても、それができない状態の人には言わない方がいいんじゃないか、とためらうこともあります。
でも、そういう気をつかい過ぎたら、不幸話限定の暗〜い掲示板になってしまうので、今辛い人が心おきなく辛さを吐き出せるように、楽しい話も多少は書き込んでもいいんじゃないかな、と思います。
まあ、私の場合、ほぼ楽しい事=食べ物関係ですけど・・・
というわけで、つぼっちさん、プロの方に厚かましいですが、ご迷惑でなければ、また料理の事で話しかけさせてくださいませ。
最近は大きな魚の処理(神経抜き)について知りたいなあ、と思っています。あれをやってない魚は、新鮮でもゴリゴリした硬さで、弾力性がなく、味にも深みがないような気がします。
この辺では魚を丸ごと売ってる事が多いのですが、あれをちゃんとやった魚かどうかを見分けるのって、可能なんでしょうか?
魚については、yukoさんのほうが、プロです。魚の〆かたにまでこだわるとは、凄すぎます!神経〆については、魚を1番美味しく食べるための〆かたくらいしか、私には知識がありませんでした。今日店の板前さんにも、友達に魚を捌く女性がいて、神経〆について質問されたんですけど、外見でそれって分かります?って質問したら、魚を〆るのは活け〆と野〆があって、と解説してくれましたが、私的には「そうか!」という答えには至りませんでした。yukoさんはきっと魚が並んでいる中でこれは神経〆した魚だ!と一発で見抜く方法を知りたいんですよね?自分も知りたくてネットで調べてみました。自分も知らないことを知れてとても勉強になりました。しかし・・・それを見分ける方法・・・?活け〆した後は必ず血抜きもするから、尾の付け根などに血抜きをした切り込みがあるかどうかを見ること?くらいしかわかりませんでした。でもそれでは神経〆かどうかは分からないですもんね・・・yukoさんは漁師さんから直接、魚を買うことが多いとおっしゃってましたよね。その際、その魚は、活け〆か野〆か、また神経〆か聞くことは不可能ですか?
因みに、神経〆とは獲れた魚の神経を抜き、血抜きをすることにより、魚のうまみの元、イノシン酸のさらに前物質のATP(アデノシン3リン酸)をストレスなどによって減らさずに保つための方法と載っていました。
答えにならず大変申し訳ない・・・です。自分も魚屋と仲良くなれたら、聞いてみますね!
私がプロ級なのは、調理の腕じゃなくて食い意地の方です。「なにコレ! 今まで食べたのと全然違う!」という食べ物に当たったら、もう一度食べたくて探し求めてしまうのです。(単なるマニアですね・・・)
つぼっちさん、聞いたり調べたりしてくださってとても嬉しいです。お話を聞いて、やっぱり神経抜きというのはハードルが高いんだなあ、と思いました。
漁師さんから買う魚は神経抜きをしてません。そんな手間のかかる始末をするような高級魚を丸一匹は買えないので・・・いつもアジとかサバとかレンコ鯛とか、旬で安い魚を買ってます。
生簀で泳いでるのを網ですくって、青魚は首を折って、他の魚は頭のあたりにキリを入れてます(これが活け絞め?)。始末はそこまでなので、神経も血も抜いてません。
血抜きに関しては、丸ごと買う時にしっぽ付近の切れ目をチェックしてみます。わかるかな?
神経抜きまでした魚を手に入れるには魚屋さんでしょうか。近所に魚屋さんはないので、デパートやテナントに入っている魚屋さんに聞いてみようと思います。
少しでいいから、美味しい切り身を食べたいな〜
つぼっちさん、私の食い意地に付き合ってくださってありがとうございました!
今、起きた。昼夜逆転生活。
こんな生活もう嫌だ!
一晩中眠りに着けず
一晩中眠りに着けず
機関車が汽笛を鳴らして
朝を運んで来る
僕は乗り遅れみたい
寝られ苦しみ。
心が疲れ切っている人に、いっも頑張っていますね、と言った時。
有難うと言われたら
こんな役立たずの、僕でも人の役になったと思い嬉しくなるね
人は相手を助けて、いるようで
本当は自分自身が助けてもらって、いるんだ。
思い上がったらいけないね。
僕は思うけど、、、、、、
以下の記事を見ました。
「抗うつ薬、じつは効果なし」といった見出しで話題になる医療記事も、よく読めば「抗うつ薬とプラセボ(偽薬)のどちらを投与されても、同程度の割合が回復した」というデータ、つまり薬を出してもらっているという安心感が治療に役立ったことを示すもので、限定つきながらむしろ、薬物療法の意義を認めているともいえるのです。
病院に通う意義も、先生に話しを聞いてもらえるという、安心感が大きいと思います。
精神科の場合は先生との相性というものが重要な部分かと思います。