ペットロス。
作者不明の虹の橋という詞。
何10回繰り返せばいいのでしょうか。
さっき電話して、今夜の仕事を休みました。
病気になって以来、何10回も仕事場をかえましたが、
結局行けなくなってしまいます。
苦しくて、情けなく、生きていたくなくなります。
でも、自分の手で命を絶つ程の勇気はないのです。
家で絶叫して、近所をうろうろして、結局帰ってきて、
電話して、頭がおかしいので休ませてくださいと言って、さてこの気分を何度味わったことだろうと・・・
数えきれません。こんなとき、この掲示板に書くことしか思い浮かびませんでした。
極度の緊張が来て、物に八つ当たりして、絶叫します。
休んでいいという事になると、その怒り失望が自分に向かってきます。胸をえぐられます。
たかがバイトなんです。でも、私はこうなってしまうのです。毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度、変わりません。
繰り返すことの苦痛。
たぶん私は今、視野が狭くなっていると思います。
乗り越えられない課題は何度でも何度でも繰り返しやって来ます。
ここが鬱の入り口かな。
新しく自分をはじめようと何度リセットしても、同じパターンの繰り返しなのです。
転勤しても、転職しても、バイトになっても、変わらない。
先日、夢に、猫が緑色の蛇をくわえて出てきて、私はその蛇を食べました。
夢占いでは、それは仕事運の向上を意味するらしいです。・・・嘘っぱちでした。
書いているうちに少し落ち着いてきました。
また、辞めるかも知れません。
繰り返すことの苦しみ。
俺は障害者なのだ。たとえば、足の不自由な障害者にサッカーをしてみろと言うだろうか?目の不自由な障害者に平均台を渡れと言うだろうか?
この障害はコンスタントでいられないのだから、同じパフォーマンスを続けるのは困難なのである。その障害者が何度も何度も何度も何度もチャレンジしては失望しているのです。
今、私は何をすべきなのか?わからないです。
そうでしたか...
昼夜リズムについてお話をさせていただきましたが、
今は仕事が難しくなってしまったんですね...。
今度こそと思ったのに何度も何度もこうなってしまうとは本当にお辛いんですね。
私は聴覚障害者てすが、もちろん音声会話とか普通のことは出来ません。
それでも聞こえない、について分かりにくいのか、頑張れ、普通のことに近づくようになれ、風に周りに強いられたのを何度もありました。
双極性障害も理解されにくいんですね。
誰かに頑張れ、風に言われたのでしょうか?
安直な言い方になってしまいますが、
障害者就業·生活支援センターなど、障害者のための就職や状態に合わせた働き方もできると思います。(無理にせず苦しい時は休める)その分、給与はとても安いですが...
バイトの前の訓練の感じでどうでしょうか?
生活や経済の面が心配でしたら(そもそも障害年金だけではとてもやっていけない)
とても嫌だと思いますが、生活保護の手もあると思います。(双極生障害用の本も書いてある)
仕事に行けない、シャワーをあびなかった、衝動的になる、日記が長くなる。私の不調のサインはそろいました。
こんなとき助けになるのが医師なのでしょうが、全く今の先生にはそれを期待していない自分がいます。ただ便利なだけのクリニックです。
どのくらい前のことか、生活保護について真剣に考えたこともありましたが、同居人と離れて暮らすことは、少し考えにくいことです。生活保護はあくまで単身者ですよね。
A型作業場にも、行こうとして、研修の2日目にやれなくなって辞退しました。
今の仕事場は自転車で15分のところにあり、短時間勤務で、一般採用ですが、店長だけには、障害のことを面接時に話しました。その上での採用だったので、手放したくないのですが、なんせ今日の状態はしんどかったです。
今度はいつもと変えてみたいと思っていることがあります。私は何10回と仕事場をかえましたが、くびみたいのは1回だけで、他はすべて自分から辞めています。今回はくびと言われるまでやってみようかな?
なんて思っています。
しんどい時にお言葉をかけて頂き、嬉しかったです。
ご自身の障害のことを話して頂き、有り難く思っています。
少し冷静さが出てきました。
台風も迫って来ています。私は気圧の変化にも弱いです。 暑い夏が続いてますので、ちゃぼさんもお体に気をつけてください。
返信、ありがとうございました。
行けるか、行けないか、分かりません。
たぶんまた、凄まじい緊張が来ると思います。
ちょっとだけ、休んでまた、平均台に上がってみます。
ありがとうございました。
つぼっち様の状況を知らず話してしまってすみません。
自転車15分とは魅力的ですね。店長のこともせっかく都合がいい仕事を見つけられたのにととても悔しいでしょう。
ただ、また悪化するほど追い詰められてしまわないか心配です。悪化するために仕事するのはなんか変ですし。
どうか、やれることまでやってみて、おかしくなる前に逃げて欲しいです。(私がおかしくなる場合は衝動的自殺です。)
昔、デイケアに通ってた時、聞いた話ですが、同居人がいても生活保護をもらえた人がいたようです。(聞こえないので詳しいことは知りませんが...)
調べによると、生活保護は全てではなく、仕事をしてても生活費が最低基準を下回っている場合、その足りない分援助が出るみたいです。
同居人がいても収入が足りない、家族がいても無理、となれば受けられるかもしれません。
まずは福祉課と相談してみる、ことになってしまいますが...もし担当者がハズレ、だったら傷付くような思いをするかもしれませんが...
(それでも今までこんなに苦しい思いをしても頑張った来たんだ、何度もやってみた、と分かってもらえたらなと思います。)
もしも、ですが、失礼になってしまいますが...同居人が頑張れ的な考えをする方でしたら、ますます余裕をなくし悪の循環になってしまう気がします。
また色々口出ししてしまいましたが、どうかつぼっち様の心に余裕ができるよう、願っています。
自分が求めているもの(生活、安心、幸福、評価)に、指がかかった途端に、僕にはその資格がなかったんだと思わせる事が必ず起こる。今までの努力に意味がなかったと崩れ去る自信。しぼんでいく心。自責の念。
そんな経験を、ずっと続けています。これからもずっと続いていくと思っています。それはシシュポスの岩だから。
あるお坊さんが、こうおっしゃってました。いくら修行をしても自分は到底悟りには至れないと思う。だけど、駄目だったら生まれ変わってまたやりなおせばいい。今の自分にできないことでも、新しい体、新しい世界の中でなら、いつかはそれが実現するかもしれない。だから今はこれで良いと。
僕は双極性障害を持ってこの世に生まれてきたから、この世界でやることは、何回もシシュポスのように重い岩をかついで山を登ったり降りたりするだけ。それでも、道端に花は咲き心を慰めてくれるし、青い空はどこまでも高かったりする。いつかそれをやり終えた時に、僕は笑って死ねるかもしれない。そんなことを考えて生きてます。
つらそうなのにご自身を詳しく観察しているところが驚きです。
小説を読むように興味深く読みました。
私は仕事については、ふだんは軽く呪ったりし、緊張すると意識が飛んじゃいます。
意識が飛ぶと違うことに没頭して用事を忘れ、怒られます。
変な人、世の中にいっぱいいますよ〜
私のパターンのエッセイ漫画は多くて、今後の対策を立てるのに役立ちます。
つぼっちさんのような、ストレスに対してずっと覚醒で苦しいという経験が書かれた小説や漫画を読むのも、役立つかもしれません。
あと、学習障害専用の就労支援があるそうです。
精神障害枠で、緊張についても躁鬱よりもわかってもらいやすいかも?
シシュポスの岩というギリシャ神話のお話しを、初めて知りました。調べてみると、(果しない)徒労という意味があるんですね・・・
せんさんの書く文章には、深い意味のあるものが多いので、なかなかうまく返信出来ずすみません。
でも、その果しない徒労であるかも知れない、我々の日常にも、花を愛でる気持ちや、青空を仰ぎ見る幸福感があるというところに、とても共感しました。
せんさんも他のスレットの記事に、自信がないと書かれていたのに驚きました。私も自信の無さを自覚してから30年以上経ちますが、相変わらず手応えのある自信は手に入れられていないと思います。人の間に入ると迎合してしまうことも多いです。自信を手に入れるためには、本当の本当に自分の好きなことを見つけ、継続することだとも思っています。私は今年、50歳になりますが、時間はまだあると思いたいです。
果しない徒労であっても、自信をもって過ごせたら、少し道端の花や、空の青さに気づけるかも知れません。
そんなことを考えました。
わたしのストレスのかかっているときの文章は、ちょっと人と違うのでしょうか。普通はもっと我を失うものなのでしょうか。意味の解らなくなるくらいに。
私も絶叫したり、物に当たったり、近所を徘徊したりしますが、決してそれはお芝居ではなく、本当に辛くて、でも、ちかさんの言うように、どこか覚めた一部分が自分の中にあるような気もします。それは何度も何度も繰り返してるからかも知れません。「またかよ・・・」と絶叫しながらも、思っている部分があるかも知れません。
昨日も、なんとか仕事に行けました。
つぼっちさん
私もちょうど作業所に行きあぐねていたところです。
暑いですしね。
で、昨日この動画をみました。
「自分のことを放棄するくらいなら、夢や現実なんてどうでもいい!」
https://youtu.be/0m4zKMOWbEo
かいつまんで書くと、自分叩きや不安ばかりを考えるということは私もよくやってしまうのですが、その同じ時間をノートになりたい自分、夢などを書くことに充てるのです。他者のことを考えず、自分に集中して、「何が欲しいのか、どうなりたいのか」を書いていきます。
そうすると、なんだかへらへらした気分になってきませんか?
私もまだ昨日から始めたことなので、なんとも言えませんが、「これはいいな〜」と感じています。
ダメだったら、やめちゃってください! 笑
動画、半分見ました。言ってることはとても分かる。
いつも書いてる日記は超ネガティブで、そのエネルギーを別の方向に向けるというところに、ピンときました。
ちょっと、やってみます。
ひーさまへの愛想ではなく。やってみたくなりました。
あの動画の女の子二人組の感じも楽しそうだったし。
紹介してくれて、ありがとうでした。
ちゃぼさんは聴覚に障害がおありとのことなので、きっとこの動画の内容はお分かりにならないのではないかと思いました。
で、「このままではフェアでない」という感じがして、一部だけですが音声を書き起こしてみました。要点だけなので、分かりにくいかもしれませんが、以下の通りです。
それから、長い書き込みになり、掲示板ジャックみたいになる事を、他の皆様、どうぞお許しください。
ハッピー「昨日ポンちゃんと二人でランチしてたら、いろいろ本当におもろい発見があって・・・」
ポン「はい」
ハッピー「ポンちゃん、ずっと不安な事を考えとったよな?」
ポン「はい、お金がもう無くて生活がヤバくて、どうしたらいいか分からなくてスゲー悩んでて。ハッピーさんにご相談していたんですけど、それでもなんか、現実を見過ぎてて」
ハッピー「そう、現実を見とったんよな、ずーっと」
ポン「はい、ずーっとそういうジャッジをしてて辛かったです」
ハッピー「いやもう、そういうのやめませんか。現実逃避しろという話ではないんだけど。 今の現実って、過去の自分が意識で作り上げたものだから、そう、それにドップリ浸かるんだったら同じ事だよっていう・・・これもうずっと言っとうがぁ」
ポン「そうなんですよ〜 笑」
ハッピー「まぁ、しょうがないよね、そんなこともあるよね 笑
それで、その中で話ししてたら、あの、私、朝結構ワクワクして起きるんですよ。 何にワクワクして起きるかというと、何かがあるからワクワクしてるんじゃなくて、朝、とにかくお気に入りの喫茶店で、最近のハマりネタがこのAAAのニッシーなんで、AAAやニッシーの動画を見まくりながら、ノートとか携帯のメモに虚言癖みたいな事を書くのがものっすごい幸せなんよね。 てか、前からやねん、何かが起きていない時から私はこれをやっていて。 その都度ムーブメントが変わるだけで、今はニッシーが私の気分が上がるというかエネルギーが上がるツールになっていて。 それがセカオワだったり安室ちゃんだったり、いろいろ変わるんだけど。 まああの、小一の男の子がやってるみたいにYouTube見てニヤニヤしてみたいな 笑 で、子どもはYouTube見てニヤニヤして楽しい。大人ならではの遊び方がそのエネルギーを活用して、意図的に現実を創造するっていうクリエーションの力を持っている。賢さがあるでしょう、大人は。要は小1男子のやることにプラス大人の遊び方を付け加えれば良くて。で、暇な時にポンちゃんはお金のことばっか考える。頭の中そうでしょ? ね?」
ポン「はい」
ハッピー「『不安、不安』みたいな。 で、私は暇があればメモかノート書いてるんですよ、で、それが何がオモロかったかっていうと、昔のヤツを見返しててさ、それが超絶受けたんよな」
(昔誰にも見られないブログに未来にこうなったらいいなというような書き込みをしていて、誰にも見られないのに人の目を気にしているかのような文章だった事を述べる)
ハッピー「要は暇な時に不安な事を考えてエネルギー出してんだったら、その時間を使って違うエネルギーを出す事を考えればよくて。
人がこじれる要因っていろんな要素があると思うんだけど、一つは『人に認めて欲しい。認められたい』という思いが強いから、それが夢になったり、それが故の行動になったり、評価を得るために動いたりするから苦しくなるっていうのが、とってもあると思う。「その夢を選んだのは認めてもらえるから」とか「賞賛されるから」とか「承認してもらえるから」とか。それが叶って認められたところで、自分が認めてなかったら、なんの幸せでもないんですよね。 「褒めてもらって何?」って感じ、「認めてもらって何得になるの」って感じ。一向に、だから次から次へと認められる内容をラットレースみたいに始めなきゃいけないっていう現実、その現実を追い続けてもキツイだけですよね。で、てことは、なのよ。じゃあ「認めるって何?」って話で、じゃあ「自分で自分のこと認めよう」なんて難しいやん。なあ?」
ポン「はい」
ハッピー「私もともと人の目を気にするタイプ、評価を得たいは勿論なんだけど、それよりも嫌われたくないがかなり極度に強い人だったんですよ。私が今現実をクリエーションできているということはパワフルなんですよ。で、なぜパワフルかというと満たされているんですよ、今ここで。現実がそうなったから満たされ始めたんじゃなくて、最初に満たされ始めたから現実が後追いでそうなったというだけの話で。じゃあなんで満たされ始めたかというと、やっぱ私はこれ(ノート)なの。もうね、腹の底の本音とか、思ったら、自分から湧いたものとか、手当たり次第に視覚化して、出すとか、書くとか、そういう事をしてたら、結局分かります? 自分の腹の底に眠ってる物を、毎回掴んでるんですよ。認めてる。自分の願望をいつも認めてる。自分が思ってること、いつも認めてる。自分の感情をいつも認めてる。いつも観察してあげてる。いつも自分に集中してあげてる。そうするとさ〜、見事になくなるわけよ、あの「認めてもらいたい」という願望が。そうすると、何が残るかっていったら、「認めてもらうため」がなくなるから、自分の表現したい事をやるだけになるじゃん、「やってみよう」みたいな。そうするとまた気分が良くなるわけよ、表現したら。そうするとこれ、無敵のスパイラルに入ってくるよね、気にしなくなるから。 てことは、この腹の底の物を掴むっていうのを自分でやればいい話で、みんな。ポンちゃんも最近本音見てなかったって言ってたもんな?」
後略
ノートを書くあたりが認知療法に当たるのかなと思いました。
あくまでも私の経験ですが、病院の精神疾患者のためのデイケアに通っていた時は似たような方法を教えられました。
その時はなるほど、と色々とやってみたのですが、
その時は双極性障害とは分からなかったので(別の病院で診断された)
真面目にやればやるほどなんかおかしくなった気がしました。
うまく説明出来ませんが、性格や物は考えようとか自分を見直す系?と、脳の誤作用で脳も体も言うことが聞かない状態というのがあるじゃないかと思います。
そしてその見分け方がとても難しいかもしれません。
ただ、つぼっち様のようなこれまで何度も何度もやってみて頑張った自分自身を認めて労って欲しいなと思います。
その人の状態があるのでこういうところで「こうしてみたら?」と発言することはとっても難しいことだと思います。ただ自由に発言できる場なので、「無理しないで」とか「試してみては?」とか、つい言いたくなっちゃいますよね。
私は作業所勤務から一般就労への変わり目で、「もう少しお金が欲しかったら、アルバイト就職でもなんでもやろう」という気持ちと、「大変じゃないのかな? 怖いな」という気持ちで揺れ動いています。 私もクローズドのアルバイトを始めては3ヶ月で体調不良で辞めてしまうことを繰り返した時期があります。
でも今度こそは障害をオープンにしてもいいから、タフに仕事に食らいついていきたいと考えています。
精神障害があると、気にしなくていいことが気になってしまったり、完璧主義が出て根を詰めて疲れてしまったりします(私の場合)
また、人に認められないような軽作業でも、そのお金を使って自分で楽しんで生活出来れば、それに越したことはないと考えを改めようとしています。(認められて楽な聞こえの良い仕事に就きたい自分なのでなかなかですが)
なので、つぼっちさんには、(つぼっちさんと今のお仕事の関係は私には分かりませんが)、新しい見方を切り開いて頂いて、少々姑息な手段になっても続いていく方に肩入れしてしまうのでしょうね。
つぼっちさまの方で少し話しましたが、
失敗の繰り返しでものすごい参ったのがあって、何て言うか、認められたいというより自立、生活費を稼げなくてはならないと追い詰めていたので余裕があればな、と思いまして。
障害を持ってるのに普通のことをしなければならないのか?とつぼっちさまの悩みに、つい共感してしまいました。
そんなこと必要はないですし、
ひーさまがおっしゃる通り、姑息でもずるくなってもいいからうまく生き抜けられたらなと願っています。
(と言いつつ、私もなかなか上手く行ってない状態ですが...前に住んでいた所に福祉課からヘルパーのことを話してくれたのですが、当時は肢体障害じゃないのにいいのか?だったけど、今となってら受ければよかったのかなと思う時があります)
「自分の腹の底にあるものをすくい上げる努力が、自分を認める行為になり、最後には自信になる」
自信が欲しくて、自分を認めてあげようとしてもがいていましたが、自分が本当は何がしたいの?と問いかけすくい上げることをしなければ「腹の底」にとどかない。届いていなかったから救われなかったのかなと、今、反省しています。
お二人の意見、とても参考になりました。
ちゃぼさんの、この病気が認知的な問題なのか、脳の問題なのか分かりづらいという、鋭いご指摘に、「私の場合、両方かな?」と思いました。
故に、ひーさまの、「考え方を変えて今の仕事が続く方向に向かうように」というアドバイスもとても参考になりました。
私の場合、AC的な体験を経て、不安障害と双極性障害に至ったという構図を勝手に作り上げています。
今回の仕事においても、極度の緊張と不安に追い詰められ、鬱っぽさと、何より衝動性が出ています。
水曜日はとてもしんどかったです。
典型的な私の考え方のクセと脳の誤作動が起こっています。呆れるほど経験してきたパターンです。
なんの根拠もないですが、明日仕事に行けたら、また少し続けられるような、ささやかな予感があります。
お二人とも、ありがとうございました。
言おうかどうしようか迷ったのですが、
もしも、力尽きてしまっても、決してご自分を責めないで下さい。
「よくやったね。グッジョブ!」と言ってあげて下さい。
だってつぼっちさんは本当に頑張っているのだから。
そうして、しばらくの間休んで、また歩き出せばいい。
私も約束します。
自分を決して責めないで、「よくやったね! グッジョブ!」と自分に言います、
私たち躁うつ者はみんな、本当によく頑張っているのだから^^
そうですね、もし力尽きたとしても、自分を責めないことは、とても大事ですね。いつも責めてましたから。
肝に銘じておきます。
こうして、エールを送ってくれる仲間がいることは、とても有り難いです。
ひーさまにも、グッジョブ!
どうかご自分を頑張ってると労って下さい。
私も何度も何度もやってみてダメだったヤツです。その度になんか魂がすり切れて行く感じがしたので、
つぼっちさまの心の叫びについ重ねてしまいました。
辛い体験や記憶を持つとしんどいですね。
考えのきっかけで和らぐといいですが...。
繰り返しですが、余裕が出来るのをお祈りしております。
見る、私の体験を語るしか出来ませんが、これからも掲示板で吐き出して下さい。
ちゃぼさんのおっしゃった、魂が擦りきれて行くという表現が、まさに、ピッタリです。あの自分を責める気持ちは・・・。
私は仕事というのを、必要以上に、人生の行いのなかで重要な位置に見立てているようです。その底には人間恐怖もあるかも知れません。人と接触しない仕事はあまりないので。でも、仕事で知り合った人と一生涯付き合って行くことは、ほぼないです。だから、どう思われても大したことないんだなーって思ってみます。
でも、自分とは一生涯付き合って行く。だから、もっとも大事にしなくてはならないのは、自分なんですね。
そんなこときづけました。
土曜日の夜は仕事に行けました。
私も対象こそ違うけれど、何度
挑戦しても 上手くいかないことがあります
その都度自分に失望します
人並みに出来ない事で自分を責めます
つぼっちさんのお気持ちが全て分かるなどとは言いませんが
ここにもつぼっちさんを応援している人間がいる事だけでもお伝えします
病気してない人からみたら、短時間勤務のバイトで、なんでそんなに悩むの?と、思われるかも知れません。でも、同病者にはそれがちゃんと伝わって、励ましの言葉を頂ける。この場があって、本当に助けられています。
ありがとうございます!
生まれて死ぬまで付きまとう物は悩み事だけだ。
だから気にせず。明日に向かって生きようファイツ。
鬱で困っている人がいて
その人に言葉をかけて、有難うと言われたら
とても嬉しい
こんな何も出来ない
私でも人の役にたったと思うから
人間は一人では生きていけないよ
誰かが応援してくれなくちゃ。
生きてさえ、いれば良いんだ
何も出来なくても。
生きるているって悩み事が多いね
死ぬって事は恐いね
人生って長いようで短い
だからそのまに つかもを
チッとばかしの愛するって事を。
おはようございます。
少し前から夏バテになり、吐気・目眩等でまいってました。睡眠不足も原因だったとは思いますが、この殺人的な暑さは異常ですね。皆さんは大丈夫でしょうか?
今朝はやっと、その夏バテから一時的に脱出したようで、睡眠も取れ、朝から起きています。音楽かけて包丁を研いでいました。クレイジーケンバンドが昔は好きで、今もたまに聴きます。中でも「あぶく」という曲が好きで、今朝もかけていました。曲も好きなのですが、
「悲しみのその向こう側で、抜群にいい顔が笑ってる」という歌詞がとてもイイネと思います。
いつも仏頂面してる私は、よくよく人から「笑顔!笑顔!」と、ほんとによく言われます。でも、笑顔を作ってるヤツは嫌いですし、少し介護の仕事をかじった時も、死ぬほど、笑顔!と言われましたが、ほんとに嫌でした。でも、利用者さんの中でもそんな私を気に入ってくれる人もいました。
90歳になるおじいちゃんも、そのひとりで、偏窟っぽい性格から介護士達からは敬遠されることもある人でしたが、その癌を患ったおじいちゃんは、最初に接した時から私のことを気に入ってくれて、夜勤の時など、呼び出されて、話を聞いてました。「あんたは良い目をしている」とよく言ってくれました。先輩看護士からは、あのおじいちゃんに気に入られるなんて、本当に珍しいことよと言われてました。そこは研修に1ヶ月いただけの施設だったので、大変な思い出しかありませんが、そのおじいちゃんと夜中にベットサイドでたびたび話した時間はいい思い出です。
介護の仕事は、合わなくてすぐにやめてしまいましたが、おじいちゃんどうなったかなーと今でもときどき思い出します。
相変わらず、あっちいったり、こっちいったりの文章です。
そういう私も、よく作り笑顔をするときもあります。
今は新しい仕事場に行き始めたばかりなので、ひきつりながら笑ってる時も度々です。
本当の笑顔に、抜群にいい顔で笑える時が、来ることを願わずにいられません。
とりあえず、夏バテも少し良くなって、ちょっと活動出来そうな感じです。
全国的に殺人的に暑い夏、皆さんもご注意を!
暑中見舞いでした。
X馬鹿な奴さ。
O馬鹿な私。