明日は魔の同窓会です(涙)
幼稚園〜小学校の同窓会なのですが、私の学校は1組しかなくて明日参加するみんなも4歳から12歳までずっと同じ組だったメンツです。
私は子供の頃から根っからの躁うつ気質と言いますか、学校にいる時は楽しくて楽しくて仕方がなくてハイテンションで、夏休みになると寂しくて仕方がなくて子供ながらにも希死念慮を覚えるくらいでした。
そこまで小学校は私にとって人生で一番心を許せる、楽しい時期だったと言っても過言ではないです。
なのですが・・・
病気を発症してからそんな気を許せるメンツとも溝を感じてしまうような自分になってしまって、健常者一般との関わりにも言えることですが、自分の状態を理解してもらえない場所にいるとしゃべれない症状になってしまいます。
同窓会も中学校時代から1年に二回ぐらいやっている近しい中で、あんなに近しいみんななのに「健常者一般」と同じ反応をしてしまうのが悲しいです涙
みんな私が躁うつ病だということは知っています。でも扱い方と言いますか、しゃべれなくて黙り込んで硬直している私にどう対応するべいいか分からないみたいです。
去年の同窓会は、一人の男の子に「幼稚園からの仲だろ!そんな気を遣わなくていいよ!」とポンと肩をたたかれました。紛れなく優しさからの言葉だったのですが、別に気を遣ってるわけではなく、元気なみんなのエネルギーについていけず病的になっているだけなのに・・・
でもかけがえのない友達なので諦めないで今後も同窓会には参加したいです。
明日はしゃべれるといいな・・・不安ですが、がんばります・・・!
りさ
いろいろシミュレーションしてしまいますよね。
また、きっと固まってしまうんじゃないか、とか。
やはり、行けたら100点で良いと、私は思います。
私だったらきっと行ってないと思います。
行くと返事しただけで、すごいなーと思います。
そういう場で、えげつなくしゃべるヤツっているけど、そいつがけっこう仕事で良いポジションにいたりして、
比べてしまって、落ち込んで、ということは、私はけっこうありますね。理解ある友人から、つぼっちが何もしゃべらなくても、誰も何も思わないよと言われても、飲み会の後は凹みます。
最後までいなくてはいけないのかなー。
りささん、無理はしないでくださいねー。
行くと返事しただけですごい、とありがとうございます涙 そのハードルを分かってくれるのはやっぱり躁うつ仲間だからこそだよなと感謝です。
やっぱり比べてしまうところもありますよね。みんな仕事帰りでスーツを着ていたり、こうこう仕事が大変だよ〜とか言う話題にも入れないし、病的にしゃべれないだけじゃなくてみんなと共有できる話題がないというのもあるのかもしれません。
そうですね、しんどかったら途中で退席しようかな。でもそうするとそうするで敗北感に駆られてウジウジしちゃうんですよね(^^;)
一次会と二次会があるので一次会でダウンしたら明日用事があるから〜とか濁して二次会は遠慮すればいいやと思っておきます。
ありがとうございました・・・!
りさ
例会に薬を飲みながら司会をしている、りささんも見てますし・・・
雨が降って、さらにハードルが上がらないことを祈っています。
仕事を早退するときは、確かに敗北感まみれです。
いやいや、自分に厳しいんじゃなくて見栄っ張りなんですよw みんなみたいに明るく楽しい自分像をそこで見せることができなくて悔しいんでしょうね。
確かにお仕事みたいな責任のあることだったら気持ちがダウンしてもしょうがないですが、別に参加の責任もない同窓会でへこむこともないですよね。
気楽に行きたい思います@▽@ 結果は何せよウジウジはやめるようにします^^;
りさ
私だったら とっとと逃げ出しています
それに同窓会で、聞いてもいないのに夫や子供の学校を自慢するヒト
あれ誰にだって嫌われています
躁鬱よりもよほど嫌なやつです
ヒトがらや優しさは沢山話なさくったって伝わってきます
でも、しんどかつたら、逃げ出してね
つぼっちさんとおんなじ事を言わせてください
無理しないでね
頑張る事ないからね
この病気でない人では分からない、同窓会に行くための勇気、分かって下さってうれしいです涙 すごいって言っていただいてありがとうございます。
自慢屋さんはいますよねー^^; 子供や仕事、特に私と同い年の人は初めて生まれたり昇進したりのタイミングなので自分と重ねるとつらいです。社会的ステータスで自分を計らずに、人と比べないいい訓練だと想うといいかなー。
しゃべらなくてもいい人オーラを放っているといいなー笑
ほんとにありがとうございます。ほんとにしんどかったらもう恥じずに逃げます!
りさ
私は小中高の同窓会は行ったことがないので、りささん、やりますね。
心配なことは、後から親しい人と会って、あの場面どう感じた?とか話したり、
次回に向けて、自分がこういう時はこう対応してね、と頼んでみるのはいかがでしょう。
私事ですが、先日孫の一歳の誕生祝いの席に出ました。
孫が一升餅を背負う姿が見たい半分、健常で有職のあちらのお母さんと顔を合わせるのがしんどかったです。 当日はトイレから出られなくなるほどの下痢を起こし、フラフラしながら行って周りました。
終わった後も頭痛、怒り(?様々な感情が出ました)、イライラが募り、翌日の診察で安定剤が処方され、現在服用中です。 苦笑
りささんも、何はともあれお疲れ様でした。
お互い、自分ねぎらって、ゆっくりしましょう。
尚、場違いな発言でしたら、お詫びします(^_^)
同窓会行かれたことないんですね!もういちいち葛藤しないで割り切ってしまうの有りかもですね(ちかさんの場合、病気が理由ではないかもですが)
同窓会の様子を気にかけて下さってありがとうございます涙
一次会はもうみんなのエネルギーに圧倒されて放心状態で何も話せず、「りさ大丈夫?!」と声をかけられたり、あぁもうこれは二次会の前にとんずらしようと心で決めていましたが、
しかし流れ的に帰れるような雰囲気ではなくそのまま二次会に行ったらいきなりスイッチが切り替わってマシンガントークをし出してハイモードになりましたw みんなも変化にびっくりしている様子でした笑
何はともあれ最後には明る(すぎる?)く過ごせてよかったです。
なるほど、幼稚園、小中高も一緒だった女の子がいるので相談してみるのもありかなと
思います。アドバイスありがとうございます m(_ _)m
ひーさま
この負担を理解して下さってありがとうございま涙
親戚づきあいも同じような負担がありますよね。ほんと大変でしたね・・・
私も一歳違いの遠方に住んでいるいとこの結婚式の時に、みんなの晴れやかな祝福のムードの中でなぜか孤立を覚え、心がひどく揺さぶられてしまって、おばちゃんの余った部屋を借りて号泣してしまいました。基本健常のみんなが普通に話してること、明るいムードについていけなくなると自分とのギャップがいつも以上にあらわになって、何で理解してくれないのと怒りを感じたり、素直に喜べない自分が悪いの、と切なさやむしゃくしゃがたまってしまいます。
さらにその子がつい先日出産をして東京に赤ちゃんを連れて親戚に見せに来るというのでそれを聞いただけでプレッシャーに耐えかねず一人で号泣してしまいました^^;
何なんでしょうね。自分が異質な存在というか、自分の病気が自分の生活を支配しているから、普通のみんな、喜ばしい雰囲気とのギャップで体調を崩しちゃう感じですかね・・・。
長文になって失礼しました。
こうやってフランクに話せる仲間の場があって私は幸せ者です^^ コメントしてくださって皆さま、本当にありがとうございました。
親記事をもう一度ゆっくりと読みました。
4〜12歳まで同一クラスって、凄い濃密な仲のような気がします。
いろんな幼稚園保育園から集まった小学校で、一学年3クラスでしたが一年おきにクラス替えを経験した私には想像もつきません。
それもあの人生のはじまりの季節に起こったことなんですね。
もう一つの家族みたいなものですね(^◇^)
皆 気にしていたのですね やっぱり
いとこさんへの複雑な思いわかります。対象が違うだけで私もいつもいつも その事で苦しみますから
このおばあちゃんでもそうなのだから当たり前です
でも、ウエーブの会でのりささんの存在大きいです
沢山の人が救われています
居場所のない私も救われている一人です
それって、もしかしたら子共を産むより凄い事なのではないかと思います
自分の良い所はなかなか見えないものなので
ひと言 お節介な事を書きました
そうなんですよ・・・!まさにもう一つの家族みたいなんです。
まだ躁うつ病でもなかった、等身大の私を小さい頃からそのメンツは知っているので、とても大切な存在です。
だからこそ健常者、躁うつ病者って溝で離れたくないんです涙
なので難しいとこがあっても今後も同窓会はがんばって参加したいなと思っています^^
(七夕のお願い事ありがとうございました(>w<)
まるこさんへ
きにかけて下さってありがとうございます・・・!無事終わってよかったです^^
親戚とはむずかしいですよね汗 特に人生の階段を着々と歩んでいる同い年のいとこに対しては複雑な気持ちですね^^;
でもまぁまるこさんがおっしゃるようにというか、私もウェーブのような居場所があってこそそんな背比べしなくたって自分の価値は他の人にないものがあると感じられるようになったので感謝しています。
別に私が居場所を作っているわけではなくてみなさんと一緒に作ってみなさんを鏡にして成長させてもらっている感じですよ^^ だからいつもありがとうございます。
りさ
同年代の人は、比較的順調であれば、結婚、出産、仕事も覚えて戦力になり、色々と経験して、その分話題も多く、学校時代とは違う見識もあってと、一番脂が乗った年代と思います。
それが躁うつ病で、経験できないもどかしさというか、辛さですね。
今後も、ある面経験していないので、話を聞くのは疎外感を感じるかもしれないけど、同窓会は行って、同年代の話は聞いたほうがいいと思います。
そうしないと、経験がある人との間で、増々距離感ができてしまうからです。
りささんは自分の病気のことが自覚出来て分かっているので、自分は自分のやり方で、生活していけばいいと思います。
話したらすっきりするから。
私が避けている同窓会は、平日昼間に座敷の飲食店に子連れで集まるものです。
それとは違った生き方をしている友達と少人数で、静かな場所で会っています。
子どもが騒ぐ、音楽が鳴る、隣の席が近いといった場所では、私は全部の音を聞きとって疲れてしまいます。
いとこの赤ちゃんはきつそうですね。
希望をもつとすれば、赤ちゃんが将来りささんと気が合うかも、っていうのはどうでしょう。
小学生くらいになって二人で仲良しだったら、ハムスターをプレゼントしちゃうとか(笑)
躁うつ仲間の掲示板に例会においてのレクリエーションについてのスレッドを立てたのでチェックしていただければ幸いです。例会に来られない方必見なので是非よろしくお願いします^^
事務局員 りさ
これは他の方との往復書簡のような記事ではなく、私が単独であげる記事です。
先日もNHKで発達障害の話題を扱っていました。
前までは発達障害=薬で緩和させるというような話が多かったですが、先日の放送は、「親が個性だと受け止めてカリカリしなくなったら、子も落ち着いて趣味などを楽しめるようになった」と言うような内容で、前よりは良くなったかなと思いました。
発達障害と発達障害に見えるPTSDの子がいたとして、その両者が似たような症状であるならば、誰が発達障害かどかを見極めることができるのでしょうか?
発達障害だと、先天的な障害だと決めつけられてしまったPTSDの子は適切な治療を受けることなく、発達障害薬を飲み続けなければならないのだとしたら、それが自分だとしたらどうでしょうか?
「発達障害の診断を受けることで楽になった」という実感を持つ当事者の方もいるそうなので、一概には言えませんが、表に出ている症状、人と違っていること、現代日本の常識から離れていることなどから、発達障害という診断が下されることに、私は以上のような理由から反対です。
そして、我が子を発達障害だと、「この子は変わっているから発達障害なのではないか?」という親御さんもご自分が苦しまれてのことだとは思いますが、自らが常識の罠にはまり込んでいるということもあると思います。 そういう場合の子の不幸を考えると、発達障害という言葉には、どうしてもモヤモヤ感が拭えず、できれば使いたくありません。
以上です。
儀助さんへ
儀助さんのコメントをしっかり読まずに、勝手に私が何かしてあげなくちゃモードになってました。
儀助さんは一人でもちゃんとトラウマに向き合っておられるのでした。
本当に失礼しました(ぺこり)
でも、楽しかったです^^
まずは、色々アドバイスや、教えていただきありがとうございます。
末田耕一先生のブログですね。
↓
https://researchmap.jp/muratazouroku/
全ての発達障害、精神疾患が、PTSDというのは、やはり無理があると思います。
糖尿病のようになり易い気質があると思います。
子どもと大人の発達障害では、ユーチューブの動画で、子供も顔出し、40歳の大人も顔出しで、取材、インタビューしていますが、やはり発達障害特有のものがあります。
生まれつきの特性ですね。
アスペルガーでいうと、本人には悪気はなくても、傍からは、自分勝手で、短気で、会話のキャッチボールができにくいという特徴があります。
虐待を受けると、親と同じような言動を、他者にしてしまいます。
それで、発達障害に似たような言動をしてしまいます。
ですが、自覚すれば、発達障害のような言動は改まります。
生まれつき発達障害の人は、特長は改まらないです。
神経症の掲示板にも、虐待の話を書き込みましたが、反応は無いです。
全部ではないですが、過保護で甘やかされて育った人が多いからです。
神経症の人には、なぜもっと厳しく育てなかったのかという人もいます。
こちらの掲示板でも、両親や環境に恵まれた人は、虐待に関しては、あまり関心が無いと思います。
テレビ報道で、女児虐め1年半放置事件が、大阪の吹田市でありました。
女児は小学1年の秋ごろから男児5人から、足首にボールをぶつけられ足首を蹴られ、骨折したり、ホウキで叩かれ、ランドセルにカエルの死骸を入れられ、女児の家まで侵入して、トイレに閉じ込めたりと、虐めを受け続けた結果、小学2年生の終わりころには、PTSDになり、心因性の視覚障害になりました。
これは友田明美先生によると、虐待を受け続けると視覚野が萎縮している状態と思います。
女児の両親は、子供思いの人なので、弁護士に相談して、大阪府警に告発し、テレビが取り上げるほどの問題になったのです。
おそらく女児は、両親から癒されて、脳は回復すると思います。
ですから、こちらの掲示板に来ている人の中には、親は一般的で普通だったけど、小学、中学で虐められた。
または、女性の場合は、周囲の男性が分からないような、精神的ダメージを与える陰湿な嫌がらせをされた。
というような経験があって、躁うつ病をこじらせている人もいると思います。
女性の精神科医が書いた本で、双極2型の人は、周囲の状況に、症状が影響を受けやすいというようなことがかかれていました。
やっぱり、学校や、職場で虐めを受けているというのは、本人とっては、恥ずかしいので、言い難いというのもありますし、プライドの高い人にとっては、言えない心境だと思います。
私の場合は友田明美先生の意見がピッタリくるので、それを参考にしながら、少しずつでもなんとか、症状が軽くなるよう取り組んでみたいと思います。
私とひーさまさんで、掲示板を今回占領してしまったので、今回はこれぐらいで、また、ひーさまさんとお話しさせてください。
いずれまた。でも、発達障害の話は平行線になりそうですね^^
儀助さんへ
以前この掲示板でアメーバブログを書いている、山口県のヒライ病院(漢字を失念)の末田耕一医師のことです。
私は遠くて受診を諦めましたが、儀助さんがもし中国地方に住んでおられるのであれば、もし機会があれば、セカンドオピニオンとして受診されるのもいいかと存じます。
彼のブログには以下の本がよく出てきます。
https://www.amazon.co.jp/dp/4006002262/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_ZZWeDb0FC4JTJ
「広島を生き抜く」ロバート・リフトン
サバイバーズ・ギルト「生き残ってしまったことへの罪悪感」ということに、世界で初めて言及した本だそうです。
遡るのが大変になってきたので、新しくスレッドを立てますね^^
儀助さんがお嫌でしたら仕方ないですが、私はもう少し儀助さんのトラウマについて意見を交換したいと思います。
まもなく休憩時間が終わりますので、これにて失礼します。
ひーさまさんも、家の用事があると思いますし、返信とか無理をされないでください。
ちなみに、一つ例をとると、いとこの結婚式が3月30日と書いてあるのは、過去のトラウマ処理をする時、母親の押し入れにしまってあった、結婚記念品の一合枡に3月30日と書いてあったからです。
今日は、風呂に入ったり、部屋の片づけをしたりするので、多分夕食後ぐらいの22時頃返信できるかと思います。
といっても、先日アルバイトの面接に行ったので、
未来のことはわかりませんが(^_^)
ではいきます。
発達障害をどう扱うかという点で儀助さんと私では大きく違っています。
私は極端にいうと、「発達障害はない。 そのように見える複雑性PTSDがあるだけだ」という説を信頼しています。
なので根本から儀助さんと大きく立場を異にしているので、この点に関しては、ここではこの考えを表明するに留めます。
>ひーさまさんの場合は、まだ、両親に文句を言える環境で、それに対して、両親はも
>酷かったと反論されて、自分の気持ちを分かってくれないという、不満ですよね。
次はこの部分についてです。 以前はこのように感じていました。 しかし今はトラウマの大元が解決したので、鬱がなくなりました。 両親の意見・態度というものは、私の人生になんら影響を及ぼすものではなくなりました。
後、お母様のご兄弟が幼い頃に亡くなったという点です。 私はファミリー・コンステレーションというグループセラピーも受けたことがあるのですが、人が流産や死産、幼い時に亡くなる、若い時に亡くなる、というのは、PTSD発症リスクとなります。
ご兄弟が亡くなられた時に、お母様やそのご両親、ご兄弟などが充分に悲しみを分かち合い、喪の作業ということが出来ていればそういう恐れはないかもしれません。
私の母も一番下に出来た兄弟をたしか死産という形で亡くしました。昔のことだからどこにでもあるような出来事かもしれませんが、発症するしないに関わらず、リスクがある、それを大切に扱って「喪の作業」を行うことで発症が予防されるということです。
「嘆き哀しむことは弱いこと」という社会通念に沿って悲しみを否認するのは返って危ないことなのですね。
あと女には女の辛さ悲しみがありますが、男性も「男子たるもの涙は見せない」とか、そうそう初期の頃に出会ったセラピストの本に、「男よ泣け、女よ怒れ」とありました。 「弱音を吐くことを許されず、牛や馬のように働かされる。 男よ泣け!」という文章でした。
このようなインターネットの掲示板において、私の言葉が儀助さんの心に届けられるかわかりませんでしたが、精一杯語ってみたかったのです。
苦労ではありません。喜びです。「誰かになにかできるかもしれない。やってみよう」と思いました^^
このような機会を与えて下さってありがとうございます、と言いたかったのでした^^
孫のお祝い等でお忙しいところ、お尋ねしたいことがあります。
まずは私事なのですが、高校1年生の秋に強烈な不安障害を発症しました。
症状は極度の緊張と、不安で、些細なことで、物凄くドキドキ心臓が脈打ち、息をするたびに胃が痛く、そして過敏性腸症候群で下痢をするという症状です。
いわゆるストレスからの神経性下痢です。
些細な刺激で、下痢になっていました。
通学は、バスとJRを乗り継いで行くのですが、不安障害を発症してから、毎日のようにJRの駅か、学校について、下痢のためトイレに行っていました。
学校でも、昼までに下痢のためトイレに行き、1日2回はトイレに駆け込んでいました。
高校は男女共学で、授業中に我慢しきれずにトイレに行ったりで、それなりに恥ずかしい思いをしていました。
今はある程度は良くなりましたが、やはり些細な刺激で神経性下痢になることがあります。
わたくしの場合は四六時中不安、緊張が胃のあたりから込み上げている状態です。
幼少期の虐待が原因で、些細な刺激で、異常に不安と緊張が発症する脳に変質しているためだと思います。
それで、りささんの同窓会の記事のコメントにひーさまさんが以下のように書かれていました。
↓
私事ですが、先日孫の一歳の誕生祝いの席に出ました。
孫が一升餅を背負う姿が見たい半分、健常で有職のあちらのお母さんと顔を合わせるのがしんどかったです。 当日はトイレから出られなくなるほどの下痢を起こし、フラフラしながら行って周りました。
このコメントは、娘さんの旦那の母親に会わなければいけないという、プレッシャーというか、緊張と不安で、体調不良になり、神経性下痢になったということでよろしいでしょうか?
教えていただければありがたく思います。
私が書いたのは神経性の下痢についてです。
私は「脳が変質する」という言葉は嫌いなので使いません。 良くなりたい人は使わない方が良いと思います。
それに、うつ病の脳、双極性の脳、アスペルガーの脳、ADHDの脳というのは、まだ見つかっていません。
「脳には可塑性がある」という言葉が好きです。
私が未来を切り開く為に信頼したのは、「全ての精神疾患は複雑性PTSDである。 複雑性PTSDであれば治癒する」いう文言です。
儀助さんが幼い頃に虐待を受けたのは事実だと思います。
トラウマがどの様に病気を作ってしまったかを解明するには、なかなか一人では難しいし、精神科の五分診療でも無理です。 心理士がカウンセリングをしてくれるクリニックもありますが、認知行動療法では恐らく無理でしょう。
人によって違いはあると思いますが、私の場合は箱庭療法が功を奏しました。
自分で箱庭を作るので、自分で治るもとを作っているようなもので、張り合いがあります。その分エネルギーを使うので、最初は苦しくなったり、続けるのが難しくなったりします。
トラウマは一人で直面しようとすると、非常に危険で、死にたくなったりします。
だからプロフェッショナルに伴走してもらいます。 芸術療法である点も、危険を回避するらしいです。
ハコミとか、ソマティックエクスペリエンスとか、いろんなセラピーがあり、試して、出会って、続けなければいけません。 私は箱庭を続けるためにも、作業所に通い続けます。
医療に繋がっているとついつい人のせいにしがちです。 私もそうでした。「言う通りに薬を飲んだのに」、でも全て自分の責任で、失敗しても自分で責任を持ち、また資金を調達してやり直します。
でも、それだけの価値はあると思います。
双極性障害は、不治の病なんかじゃない。
私はそう思います。
それでも本当の自分を取り戻したいという人にしか、勧めません。
まずは、神経性の下痢であったということで、何と言いましょうか、自分と似たような症状の人もいるんだという、共有感があり、ある意味安心する感じです。
ハコミセラピーマインドフルネス、ソマティックエクスペリエンシングのトラウマ療法は知りませんでした。
お気に入りに登録しましたので、今後の参考にしたいと思います。
2018年12月20に幼少期の強いストレスと精神疾患の関係性を初めて知り、約6ヶ月あまり、トラウマ関係の本を8冊読み、図書館で発達障害の本を5冊読み、ユーチューブで勉強とかなり納得できる感じで理解できてきました。
最近の精神医学の発達はとても目を見張るものがあり、急速に進歩しています。
都合上脳が変質すると書きましたが、そこはひーさまさんと同じで、当然どこまで健康な脳に、可塑性があるか、ある程度まで健康な脳に変わっていくのではないかと考えております。
ひーさまさんはそれを箱庭療法でしているのですね。
私も、36年前、心理学の先生に精神分析を希望したところ、箱庭療法を勧められ、何回か受けたことがあります。
しかし当時は、精神医学のレベルが低く、またパソコンもないので、情報収集もできませんでした。
箱庭療法では、今心が異常に燃え盛っているのを、鎮火させる作用があるというような説明を受けた記憶があります。
今の知識では、不安を感じる脳の偏桃体が、異常に活動しているので、それを鎮めるのが箱庭療法と解釈もできます。
自分が変わり始めると、周りとの軋轢が生じるかもしれません。
それでも本当の自分を取り戻したいという人にしか、勧めません。
↑
ひーさまさんのこのコメントは、私も重々承知で同じ意見です。
私の場合は、希死念慮というのが無くて、死ぬのが怖いというものなので、もうすでに、一人でトラウマ処理というものをやっております。
父親の弟に、父親の事を聞いたりしています。
原爆で父親の父が死に、その後色々あって、私の父は今の中学3年生で働き始め、その後、47歳の母と、今の高校1年生の年代の父と、小学5年生の弟の3人で暮らし始めたと言っていました。
そしたら、5歳年下の弟に私の父が、行儀が悪いとか難癖をつけて、箸で、顔を突いてきたと言っていました。それを必死で除けたり、
ハンマーで殴ったろうかと脅されたりもしていたということです。
それで、夜になったら自分から家を出て近くの小屋でねていたといっていました。
ただ、私の父の母親はいい人で、人の気持ちをよくわかってくれたと言っていました。
私の、父の弟は両親からは可愛がってもらい、当然叩かれたりしたこともないと言っていました。
ですから、私の父の弟は小学5年生までは、精神的には恵まれた環境だったということです。
私の父から、暴力を受けましたが、親からではなく、5歳年上の兄からであり、又小学5年生からであり、その間には、良心的な母親がいたという関係で、物凄い自分勝手な兄貴だったという程度です。
私の父の弟は、友達が多く、今でも山に登ったり、以前からしていた空手に通ったりと、やりたい放題活動的です。父の弟は82歳です。
友達を沢山家に連れてくるので、奥さんはその世話が大変なため、つれてくる友達を減らしてくれと言っています。
私の父親は、当然のことながら、一人も友達がいませんでした。
私の性格は父親には似ておらず、小学生の頃は、近所の子供と毎日のように遊んでいました。
当然父親の子供の頃と私は友達関係の多さが全然違うので、それが逆に憎たらしかったのかもしれんません。
今、発達障害の勉強をして分かったことは、私の父親は完全なアスペルガーだったと診断できます。
私は、父親の性格は遺伝しなかったのです。
しかし、理不尽にやられまくった私からすれば、父親が憎たらしいの一言です。
ちなみに私の父親は、51歳で心不全のため死にました。
箱庭の良い点は、いろいろありますが、言葉を介さない所です。
トラウマティックなイベントを立体的に表現することができます。
そうすると、ナラティブセラピーでは抜け落ちていた気づきが得られると思います。
私も病歴25年になりますが、もう少し早く出会いたかったです。
それからお祖父様が原爆で亡くなったいること、一族は大変なトラウマを受けておられることでしよう。 だからといって病気の原因がすぐに判明するわけでもないので、そこを押し進めていくのは大変なこととお察しします。
まずは出来ることから、ぼちぼちいきましょう。
私が先日、NLPで精神疾患から回復されたという方のブログを読んで、試してみて良かったことを書きます。
全ての症状は良きことのために現れたと仮定します。
そして自分の症状に心からありがとうと言ってみます。
そうすると、少し身体が緩む感じがしませんか?
十分にたくさん症状にお礼を言った後で、「貴方は何の為にこうして存在するのでしょうか?」と訪ねてみてください。
お礼を言うだけでも、辛い時は少し楽になります。
NLPという心理療法もあったのですね。
半年近くトラウマに関する勉強をしていたのに、6月3日のこよいさんというかたから、発達性トラウマ障害という言葉をしっかり自覚したりと、まだまだこれからも、なるほどという知識があると思っています。
躁うつ病も相当勉強しました。
加藤忠史先生の本も読みました。
症状にお礼を言うと言うことでしょうか。
なかなか難しそうですが、一つ言えることは、他の病気で地獄の思い
をしている人がいるという、共感はできます。
昔は、モルヒネ等の痛みを抑える鎮痛剤が、今ほど効果の高いものが無かったころ、患者の苦しむ姿を観て、いっそ楽にしてあげたいとか、患者自身も、殺してもらって楽になりたいとか、そのような気持ちはよくわかります。
今うつ病で、15日から仕事を休んでいます。
いくらか回復したら、以下の事をやってみます。
↓
十分にたくさん症状にお礼を言った後で、「貴方は何の為にこうして存在するのでしょうか?」と訪ねてみてください。
色々と教えてくださりありがとうございました。
家に着いて儀助さんの投稿をじっくりと読み直しました。
祖父母の代に大きなトラウマがあるという点では、私にも共通点があります。
父方の祖母が26歳の時に脚気で、父の二人の兄とまだ乳飲み子の妹が乳児脚気でなくなりました。父が5歳の時でした。
父とその姉(叔母)は親戚をいくつかたらい回しの後、祖父が身寄りのない女性と結婚して、その人から継子いじめに会いました。
父は「自分が我慢して丸く収まるのであれば、我慢する」と決心したそうです。まだ5歳なのに、です。
その反動は結婚してから出ました。仕事が続かない、パチンコ、DV、酒癖が悪い・・・ちっとも我慢できない父でした 苦笑
母には母のトラウマがあります。 農家の二番目、次女でしたが、女であるが故に弟より大切にされることはなく、10代で口減らしのために奉公に出され、そこで虐めに合いました。 母も私に暴力暴言の人だったので、子供の私が文句を言うと、「お母さんの方がもっと酷い目にあった。 お母さんはねぇ、・・・」と母の身の上話に掻き消されてしまいました。
その時父も、「お父さんなんか、オネショした敷布を真冬に外で洗濯させられた。 そして、・・・」と自分の不幸を話すので、私の話は誰も聴いてくれませんでした 苦笑
こんなことを言っては差し出がましいかもしれませんが、儀助さんのお母様の方には別段トラウマと思われる出来事はなかったのでしょうか?
父親の父は原爆投下後、1ヶ月後ぐらいに死んだんですけど、わしが親父の遺体を焼いたんじゃとか、なにげに、私が小学生のころ、あ〜たいぎいの(しんどいな〜というような意味)とふと漏らすと、今からたいぎいと言って、大きくなったらどうするんや〜とか、話の脈絡もなく、喧嘩腰で、いきなり吹っ掛けてきます。
完全な話の一方通行で、相手の言い分は全く聞く耳は無しです。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=urtdThOO18I
この動画の最初の方のコメントにあるような感じで、更に自分より弱いものにのみ暴力をふるいます。
このようなエピソードがありました。
私が18歳の時運転免許をとる練習のため、父親の助手席に乗って、団地の造成地に向かっていて時、事故をしました。
その時、相手が、私が運転していたと言ってきました。相手も男性2人です。相手のほうが8割ぐらいの過失があるので、このような言いがかりを言ってきたと思われます。
私自身は、当然反論したと思うのですが、あれだけ家では傍若無人に振る舞う父親が、黙ったまま、何も言わないのです。
あれ?と違和感を感じたのを覚えています。
父親のコミュニケーション能力は中学生レベルでした。
ですから、父親に関しては、原爆に会おうが、今の時代の恵まれた環境に生まれようが、暴力の度合いは少しは違うかもしれませんが、人格的には、あまり変わらないと思います。
母親は、女、女、女、女、男、男の6人兄弟で、途中2人幼いころ病死していて、島で育ち、戦後ミカン農家をしていたので、戦前戦後食べ物に困ることは無かったようです。
私の母親の父は、軍需工場で働いており、年が多かったため、兵隊には行っていません。
母方の祖父母は80代で死んでおり、それなりに良い人生だったと思います。
そして最近母親にどのように両親から、育てられたかと聞いたら、悪いことをしたら叱られたが、私のように理不尽に殴られたりしたことは無いと言っていました。
母親は自分の父親から、叩かれたことは無いと言っていました。
母親の家庭は、当時としては、普通で、恵まれた環境だったと思います。
しかし、母親は、意地の悪い面があり、何気に、わざと相手が不愉快になる言動をすることがあります。
ただ、私が、うつ病の時は、ご飯を準備してくれたりと、面倒を観てもらっています。
私も、母親宅の修理や、重たい物の買い物や母親の友達の老人ホームに車で連れて行ったりと、もちつ、もたれつの関係です。
今まで、私のうつ病の原因が分からなかったので、私がうつ病になったときは、母親から、この障害児がとか、死にやがれとか、言われました。こうでも言わないと、母親の精神が持たないと言っていました。
今回のうつ病は、原因を母親も理解しているので、罵声とかは無いです。
母親自身も、父親から頬を平手打ちされ、鼓膜が破けたことがあるので、私がうつ病のになって、同情することも言うようになりました。
私自身両親の悪口のような事ばかり書いてはいますが、小学生、中学生の頃は、家で自分がやられていたような事を、同級生に対してやってしまうこともありましたし、また同級生から仕返しを受けることもありましたが、私自身がアスペルガーではないので、手加減もあり、喧嘩しても仲直りもありで、遊び友達も多かったほうです。
ひーさまさんの文章を読んでいると、両親からの強いストレスは、両親の幼いころ、厳しい環境から身についたものを、子供のひーさまさんが、そのあおりを受けたという印象です。
ひーさまさんの場合は、まだ、両親に文句を言える環境で、それに対して、両親はもっと酷かったと反論されて、自分の気持ちを分かってくれないという、不満ですよね。
私の場合は、一つ例にとると、中学3年生の時、いとこの結婚式があり、外に出た時、3月30日だったので、傍にいた父親が、いきなり喧嘩ごしで、服を着いやと言ってきて、ええよと断ると、次の瞬間、着いやと、思いっきり頭をげんこつで殴られるという状況でした。
傍から観たら、異様な光景だと思います。
私の母親のお姉さんの旦那さんが、私が小学校の時、あんたのお父さんは変わっとるけえのと言われたことがあるように、超偏屈人間でした。
しかし、私の父親は仕事だけは、カゼを引いても、仕事で足を怪我しても、赤チン付けていき、死ぬまで、一度も仕事は休まなかったです。
ひーさまさんには、娘さんがいて、お孫さんもいて、二人に愛情を注いであげてください。
私がもっとも儀助さんが勘違いをされていると感じたのは、以下の箇所です。
>父親のコミュニケーション能力は中学生レベルでした。
>
>ですから、父親に関しては、原爆に会おうが、今の時代の恵まれた環境に生まれよう
>が、暴力の度合いは少しは違うかもしれませんが、人格的には、あまり変わらないと
>思います。
ここは全然違います。
「原爆が落とされて1ヶ月後に亡くなった父親の遺体を焼かなければならなかったお父さん」は、客観的に見ると大変なトラウマを負っています。 同じ事をしても人間らしさを保ち続けた人はいるでしょう。 当時お父様は多く見積もっても十代であったでしょう
考えてもみて下さい。別にお父様の肩を持っている訳ではありませんよ。
お父様はご自分でも原爆の被害に会われていることでしょう。
そして十代の多感な時期に、たったひとつの爆弾であれよあれよという間に自分の父親
が亡くなって、その遺体を自分で焼かなければならなかった。
そのようなトラウマがあれば、コミニュケーション能力が中学生のまま成長を止めても、全く不思議ではありません。
続きます。
後悔しても何の意味が有るんだ
取り戻しは出来ないんだ
明日は明日の風が吹くんだ
頑張れヘタレ気にするな。
2月の頭から調子がわるくなり、先週まで寝込んでおりましたが、
やっと鬱期が抜けたようで、半日ながらも仕事にも行けるようになりました。
いつもながらですが、この数か月の鬱期は、辛くて辛くて‥
生きる意味を悶々と考えながら、ほぼ寝たきりの日々‥
どうやら、わたしは、2〜3年ごとに、3〜4か月、軽躁状態になり、その後
3〜4か月のひどい鬱期がやってくるようで、今回、初めて
そのサイクルを自覚することが出来ました。
ただ、もう何度もひどい鬱期をすごしてきているのに、、今回も
戸惑い、苦しみ、絶望し、希死念慮の嵐、自分自身を虐めぬき、
本当に情けない状態でした。
皆さんの躁鬱のサイクルはどうなですか?
聞かしていただけましたら幸いです。
こちらの動画が、おそらく典型的な双極性障害の症状だと思います。
NHKの最初に出てくるみかんさんです。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=FuNpqfknwxk&t=712s
私の軽躁状態の場合は、上記のみかんさんと違うところは、1日4時間の睡眠でもなぜか眠気もなくすっきりして元気ということはなく、やはり、寝不足で調子が悪くなります。
無駄に沢山買ったり、また、買った靴がいつまでも値札がついているということはないのです。
しかし不安を紛らわせるために、感情を無意識に高ぶらせる癖がついているので、双極2型と同じような状態です。
21歳で初めてのうつ病になり、1年3ヶ月うつ病でした。
そして3年8ヶ月軽躁状態で、2回目のうつ病になり、2年2ヶ月うつ病でした。
そして、
そして1年6ヶ月軽躁状態で、3回目のうつ病になり、2年6ヶ月うつ病でした。
そして、5年6ヶ月軽躁状態で、4回目のうつ病になり、3年2ヶ月うつ病でした。
うつ病では当然仕事はできず、休職か退職していました。
4回目のうつ病では、朝昼晩とリタリンを飲みながら仕事をしていましたが、やはり無理が重なり退職しました。
4回目のうつ病で自分は双極2型と自覚しました。
そして、このうつ病を少しでも軽くするためには意思の力で軽躁を抑制することだと教えてもらい、少しでも感情が高ぶると徹底的に自分で感情を抑制しました。
すると、うつ病と軽躁の周期が短くなり、41歳から59歳までの間は平均すると、軽躁とフラットが6ヶ月 その後うつ病が1ヶ月ぐらいの間隔になり、うつ病の苦しさが前4回の超地獄に比べれば軽くはなりました。
さくらんぼさんがどのようなタイプの躁うつ病か分かりませんが、軽躁の時、100%の全力を出さず、80%に抑制すれば、今後のうつ期が今よりも短く軽くなる傾向になってゆくのではと思います。
〇私の投稿で、すれ違いでさがってしまいましたね。
軽躁とフラットが6ヶ月 その後うつ病から軽度うつ病を含めが2ヶ月ぐらいの間隔になり、うつ病の苦しさが前4回の超地獄に比べれば軽くはなりました。
しかし未だにうつ病で苦しんでいます。
お気遣い、恐れ入ります。
また詳しくてわかりやすいご説明、ありがとうございます。
やはり、軽躁、または躁状態の時に、どう過ごすかが、この後にくる鬱期を
きめるのですね。
わたしは二型です。
わたしは、今回初めて、軽躁状態
を自覚しました。
儀助様に教えていただいたこと、肝に命じて、次、軽躁状態が来た時
に備えたいと思っております。
しかし‥本当に鬱は辛いですね‥‥。
だ〜いぶ前にお世話になっていました。
ここ3-4年くらい引きこもってました。
太るし活力ないし不安だし(老後2000万円とか、、)最悪でした。
ここ最近になってようやく少し動けるようになりました。
hpずいぶん洗練されましたね!
またお世話になります。
よろしくお願いします。
ずっとしんどかったんですね。最近上向いてきたということ何よりです。
また是非例会(前はオフ会って呼んでだけど三年前から月一回やるようになって例会に変わりました)の参加もご検討いただければ嬉しいです!
HPのリニューアルは2年前ぐらいにしました。その前はレトロなHPでしたよね笑
今後ともよろしくお願いします >w< (ハイなためテンション高めで失礼します汗)