りささん、ありがとうございました。
わたしたちと言われると自分ひとりじゃないんだと思い気持が楽になります、今日は知的障害の方をみなとみらいで6時間ガイドしてきましたが、行く前はものすごく緊張しました。
自分はものすごい緊張しいです。不安も次から次へと作り出してしまいます。そして何でも悪い方向へ想像するシュミレーション癖をもっています。ひとつのやるべきことがあると、とにかく事細かにシュミレーションせずには、いられません。
やらないとなにかとんでもない悪いことが起こるのではないかと思ってしまうのです。躁うつの気分の波ももちろん障害ですが、この緊張しい、不安、シュミレーション癖が生活していくうえでとても苦痛。障壁となっています。もちろん適度な緊張
不安シュミレーションは利点かもしれませんが、度を超えるとつらいです。不安障害で2年間カウンセリングを受けたこともありますが、治りません。躁うつと同様生涯つきあって行くしかないんでしょうかね。自分みたいな人っていますか。
いろいろ調べるのはけっこう楽しい面もあるし、長時間はまってしまいます。
ただ、常軌を逸して爆走していると自覚したら、その時点でリスパダール(妄想止め)を飲みます。心臓がどきどきしているような場合はレキソタンを飲みます(抗不安)。
リスパダール、今度主治医にきいてみようとおもいます。
準備妄想っていうんですね。まったくこれがなければ、
ずいぶん楽になるのですが・・・
自分が病気だということを忘れそうなくらい、毎日、母の介護のことで一杯いっぱいです。ボロボロに疲れちゃっています。
生涯つきあっていかなければならない双極性障碍を持っている中で、自分以外の誰かのケアをする日が来ることって、結構あるかもしれないですね。介護や子育てなどなど、どうするのかというのは大切な課題かもしれないですね。
家族にサポートしてもらっている立場から、家族を介護する立場へ移行する日が来るかもしれないということです。
ちょっと躁状態にならないと、とても頑張れないです。医師や看護師と話すにしても、いろいろな情報を集めてそれを選択して適用するのも、そのとき、そのときに、突然出て来るニーズに対応するのも、ちょっとハイにしていないと無理。しっかりしないと、足元をみられることもあるし・・・
でも、双極性の人がそういうことを頑張っていると、後でやって来るうつは、壮絶。精神だけでなく、体も酷使しているから、そうとうきついうつが来てしまいます。入院するに出来ないし。
私達のような病気を持っていて、自分以外の誰かをケアする立場になること、介護でも子育てでも・・・いくらでもあるから・・・これって考えて置いたほうがいいのかもって思います。
公的援助だって、頼みようがないようなことも多いです。それ自体ちょっとしたこと・・・氷枕とか背中にクッションとか、水分補給とか、認知症防止のためのアロマセラピーとか、それ自体は小さなことでも、そういうことを一日中やっていて、多種多様で突然浮上するニーズが多くて・・・
行政に対して、具体的にこれを手伝ってほしいって言えるようなことよりも、日々の暮らしで、家の廊下を行ったり来たりして疲れたから、「キッチンに行って冷蔵庫からあれ持って来て」とか、誰かに頼みたいというようなことだったりして・・・。役所に人に頼めないような、そのときに出て来る小さなニーズの積み重ね・・・
やっぱり介護の9割は、同居している自分がするしかないんですよね。
他人を家に入れるというのも、うつのときには、かなりきつい。
支援センターの人とかが家に来て対応するときには、ちょっとハイにならないと無理。
祖母のときにヘルパーを頼んだことがあったけれど、賃金をごまかしたり、いい加減だったり、何も言わずに家の中にあがりこんで来たり・・・かえってストレスだったりして・・・。
誰のせいでもないのだけれど・・・。たとえ姉とかに一日来てもらっても、あれこれ伝えておかないといけないことが多いので、かえって倍疲れてしまいます。助けてもらいようがないことが多いです。
自分の病気と母の介護とのバランス、休息の取り方の工夫が決めてです。
先日、自分の病気の薬をもらいに久々に精神科へ行ったら、今まで味わったことのない「ほっとする安堵感」を感じました。精神科へ行って安堵感を覚えるのは初めてかも。これまでは、自分に合う薬がないから行っても無駄という不毛な気持ちで通っていたし。
でも、先日行ったときは、「ああ、今だけは、ここでは、わたしは、病人としてふるまっていいんだな。病人のつきそいではなくて、患者でいられるのね」と思いました。
長文でごめんなさい。
でも、単極性のうつ病もそうだけれど、双極性を持ちながら、誰かの世話をすることになった場合、なかなか複雑な状況があるなあと思います。
双極の場合、元気そうに見えることも多いから、なおさらに介護をしていても苦しいってことが周囲に伝わりにくいし、それに、精神看護の人にさえ双極性障がいの理解が乏しいこともあるので、高齢者支援センターのケアマネに、うつ病ならまだしも、躁うつ病ですとか言うのは、相当ハードル高いです。
ほんと、疲れました。いつものアモバンテス10グラムでは眠れなくなりました。
自分を大切にしているとはとても言えない状況です。でもちょっとは自分のことを大切にすること考えないと、結局は母の介護も出来なくなっちゃうから・・・
ごめんなさい、これを書いただけで疲れてしまうので、お返事を頂いても、それにお礼を書けないかもしれません。
ただ、思いを吐露させて頂きました。そぐわなければ削除してくださいね。
とってもおつらい気持ちが、痛いほど伝わってきます。
「それでもご自身をどうかお大事に」と言いたくても、そうはいかない状況ですね@@
だから私からアドバイスなんか、簡単にするものではないと思いますが、ただただあずささんができるだけつらくなく毎日を過ごして、溺れるようでも水から顔を出して一呼吸できる時がちょっとでも多くあることを願っています。
精神科が自分を患者と認めてくれる場所で、安堵を感じるという言葉が印象的でした。とても分かる気がします。
お気持ちを吐き出すちょっとの間だけでも、ここの空間もそうやってあずささんを受け止められる場所でいられるようにしたいです。
なかなか言葉にするのも難しいお気持ち、ここに書いて下さってありがとうございました。
りさ
これ以上むりという時は、あずささんが入院して、そして、介護者がいないからということでお母さまも入院する、という手があるのではないでしょうか。あずささんが病人としてしばらく静養したら、リフレッシュしてまたお家に戻れると思います。
あずささんも病人になっていいと思いますよ。
ほんとうに、感謝です。
語弊があるかもしれないけれど、
ここは、
自分が「病人」と認めてもらえる数少ない場所なのだなと
改めて思います。
母はあまりに入退院を繰り返したので、少し頭がぼんやりし始
めたので、認知症に進行しないような工夫をしているところです
これ以上の入院は必要最小限にしないとって思っています。
もちろん、どうしてもわたしが限界になり、母の状態が悪くなる
ようなことがあれば、また考えなければならないけれど。
大変なんです、つらいんですって、言って、それを認めて頂ける
だけで、次の一歩を踏み出す勇気がもらえますね。
人の痛みや苦しみに対して謙虚な人の存在って・・・救われる
ほんとうに、ありがとう。
ps
昨夜、久しぶりに、ビリージョエルの歌を聴きました。
全く売れていない頃、絶望の中、遺書をそのまま歌にしたと
言われているものと、もうひとつは、ちょっと前向きなもの。
Tomorrow is Today
https://www.youtube.com/watch?v=6xN3hbJG2tc" target='_blank'>https://www.youtube.com/watch?v=6xN3hbJG2tc
Got to begin again
https://www.youtube.com/watch?v=SyEDpPE_ves" target='_blank'>https://www.youtube.com/watch?v=SyEDpPE_ves
こんにちは。双極性障害と境界性人格障害を抱えている無職20代のものです。
去年結婚できました。夫はとても我慢強くて親切で私の病的な行為を何でも許してくれます。しかし、夫が私のことを優しく付き合えば付き合うほど私の気分が、最近、なんとなく落ち込んでしまいます。なぜなら、私のせいで夫の負担は本当に重いと理解してきました。もし私たちは夫婦のままで進めば、夫が長年に苦しむでしょう。どうしてもその苦しみから夫を救いたいです。そのため、今すぐ離婚すれば良いじゃないかとたまに思っています。
似ている経験をした方がいらっしゃいますか?病人として愛している人についてどの風に考えれば良いでしょうか?
初めまして。
とても難しいお悩みですね。
みゆきさんの文面を見て、お二人が深い愛情で結ばれていられることが、ひしひしと感じられました。
どんな愛だって、苦しみや負担がないものはないと思います。でも、この病気は、外部に相談しにくい、特殊な感情的負担なので、二人で孤立してしまうと思うし、
誰かの非があってのことでもないので、一気にけんかで発散したり短期間の話し合いで「解決」する質の問題ではないですし、日々おたがいの気持ちを確認し合いながら乗り越えていくしかないところがあります。
私の連れ合いは同病者なので、みゆきさんのお悩みとはまた違うものがあると思いますが、病的なものも含めて、つらさは内に込めず正直に相手にぶつけて、必ずそのあとそのつらさを客観視して話し合うことを繰り返しています。
躁の爆発やうつのもどかしさが、つい相手に向いてしまうことを、おたがいがこうゆう症状で、こうゆう状況で追い詰められていたからだね、それをおたがいにぶつけてしまったんだねと確認し合うためです。それを繰り返していると、話しが通じないような病的な状況でも、これは私に向けたものでなくて、こう考えればいいんだなともっと余裕をもって受け止められるような気がします。
そうやって特殊で強烈な体験を何度も共有して、振り返って話し合っていくと、そんじょそこらのカップル笑 より強い絆が育まれていくように思えます。
もちろん人によっては、そんな繰り返しも精神的に耐えられなこともあっておかしくない、つらいつらい病気ですが、
みゆきさんが旦那様を真剣に思っていられること、旦那様が静かにみゆきさんを受け止め続けられていることを読むと、きっと一緒に病気を乗り越えていけるんじゃないかと感じました。
うまく質問に答えられたか分かりませんが、またいつでも書き込んでいただければと思います。
りさ
ご回答どうもありがとうございました。大変助かりました!
今後とも宜しくお願いします。
みゆき
初めて投稿します。つぼっちといいます。
U型で病歴15年の46歳。男です。
例会には2回参加したことがあります。
8月から本格的に訪問介護の仕事を初めました。
毎日が緊張の連続で、もうすでに2回仕事を
早退しました。
またこの仕事も続かないかな、と思って落ち込んで
いました。
と言うか、仕事が嫌で蒸発しようか、なんて妄想もしていた昨日でした。
今日は休みで病院に行きました。
先生に、最近不安定なこと、でも仕事をできないなりにも、
努力しようかと思っていることを告げました。
先生は、「そんな仕事、頑張らなくていいですよ。」
とさらっと言いました。「そんな仕事・・・」と俺はびっくりしましたが、「そんな仕事」と言われ、すごく楽になったんです。頭の中にそんな仕事なんて考え方が全くありませんんでした。魔法の言葉だと思いました。
土曜日が仕事のため例会には当分参加できそうにありませんが
行けるようになったら是非また参加したいです。
つぼっちさんは例会に来られないときも、丁寧で心ものこもった欠席のメールを下さって、いつも励みになっています。ありがとうございます^^
自己否定にはまって抜け出せないところ、視点を切り替えてくれて、はっと解放してくれる言葉ってありますよね。
「そんな仕事」って一般的には傷ついてしまうかもしれない表現だけど、現状を維持するのでさえ人の何十倍ものプレッシャーを背負っている私たちにとっては、気が楽になる言葉かもしれないですね^^
もちろん今できていることに誇りをもってもいいと思うけど、できないからってそんなに思いつめるほどのことでもないよ、みたいな。
魔法の言葉、一つでもあった方が救いですね!私はあるかなあ、意識的に励まされたわけじゃないけど、誰かにふと言われて気が楽になったこと。
自殺願望がとても強くて、先生に相談したとき「それはほんとに死にたいというより、手を何回も洗うと同じような、強迫観念なんだよ。」と言われたときは、ほんとに死ぬ理由はないんだ!死にたい死にたいって、自分をむしろ保つために繰り返す、あまり意味のない言葉なんだ、と気が楽になりました。
一般的には、はあ?死ぬ気ないとでもいうの先生、こんなに苦しいのに!と怒ってもいいかもしれないけど笑 なんかその客観的な感じが落ち着かせてくれるような。
魔法の言葉、もっと見つけたいですね^^
また例会でお会いできればです!
りさ
障害基礎年金は以前から永久認定でした。
障害共済年金の方は2年に一回や3年に一回という有期認定だったのですが、今回の再認定の結果は共済年金本部に電話して永久認定となりました。
嬉しかったですね〜〜〜〜
診断書は7000円もかかるし、働いていることもマイナンンバーでわかってしまうのではと危惧していましたから。
精神障害者の障害年金は有期認定が多いです。
私は
「もうこれ以上、よくはならない」
と共済年金本部の担当者から言われました。
「もし、障害が重度になった場合は連絡ください」
とも言われました。
私の場合はそういうことだそうです。
これからは身体障害者、知的障害者と同じように精神障害者も永久認定する方向になるかもしれません。
少なくとも共済組合はその」ように動いているようです。
あずささんへ
こんにちは じゃまです
大変苦しい状況だったんですね。状況を察しないで、いろいろ書いていることを申し訳なく思います。
僕たちのような障害は、周りの景色や音、考え事の何もかもにいろいろな感情がついてしまうような感じです。おもしろい時にはいいのでしょうが、苦しい時には悩み以外の何物でもなくなりますから。
差し迫ったことがあるとなかなか難しいかもしれませんが、一度、心を無・空(くう)のような空っぽにする時間を少しでも作るようにしてみてはいかがでしょうか。
心を軽くできる時間が少しでも増えることを切に願っています。まずはお大事にしてください。
では失礼します。
じゃま
じゃまさんもおっしゃるように、
心を無の状態、空の状態にする時間・・・とても大きな意味があるなあとわたしも思います。
この一年半ぐらいになりますが、呼吸瞑想とマインドフルネスを細々と続けています。呼吸を意識すると、自分の中のふるさとへ戻れるのかもしれないと・・・思ったりして。
体が疲れすぎているときには、難しいですけれどもね。
じゃまさん、お大事にとおっしゃってくださって、嬉しいです。
自分のことを大事に出来なければ、人も大事に出来ませんものね。
じゃまさんも、お大事になさってくださいね。
感謝
あずさ
スタッフのうらです。
過去のオフ会・ミニオフ会・運営交流会・例会の記録を、「記録集」というコーナーに掲載いたしました。
「記録集」は、トップページの上部にある緑のメニューバーらしき部分から入れます。
今のところ、2011年から現在までの記録がご覧いただけます。
是非、ご覧ください。
もう寝なければと焦る思いがあるのですけれども、頭の中の流れが速くて、じりじりして、寝ることが怖いのか、朝目覚めた時の虚無感が怖いのか、まだ起きています。
自分のなかにあるふるさとへ帰りたい。
自分のなかにあるのに・・・なんて遠いふるさとなんだろう?
みんなのふるさととも、繋がっているのかしら?
ゆっくり呼吸をしながら、ゆっくり部屋の中を歩いてみます。
こんにちは じゃまです
お久しぶりです
考え事だらけで一日過ごすのは苦労しますね。僕は考え事が出ると滝のように降ってくることもあるので、やり過ごすのは苦労します。
自分のなかのふるさとですね。これはそれぞれの人が自由に作れるものだと思ってます。楽しいとかかっこよいとか、自分の目指したいものであれば、これと決めればよいかと思います。とにかく心のよりどころがないと、生活しにくいと思いますので…。
ちなみに僕はこれからの人生のために、無・空を故郷に選んでます。楽しくないけどマイナスもないというような価値観です。まだこのような形にして間もないですが、今のところは順調に過ごせています。
あずささんをはじめ、みなさんのなかにも平穏が訪れるようなふるさとができることを願っています。
では失礼します。
じゃま
深く広大で豊かな自然の淵、静まりかえった鼓動の感覚、遥か遠く数知れない程の悲しみや喜び…。
すべてが無いようであるように思う、今の現代社会から消えゆこうとしている我々の大切な記憶や想いが還る場所が【ふるさと】であるのでは?と思います。
生命が還るのは土だといわれています。
しかし、星の数以上に無限のごとく存在する生命それぞれが還る場所こそ又それぞれであるもの。
・自分の家
・愛する人が待っている場所
・自身を産み、育ててくれた両親の元
・大地
・海
私の【ふるさと】は両親が築いてくれた今の自宅であると共に、【自分自身】がふるさとであると信じています。
この家には、過去から今まで私が生まれて育ってからの遠い古くからの大切な記憶が数多く蓄積され、
今も、そしてこれからも私が年をとって亡くなるまでに気づき、もしくは気付かないかもしれない膨大な量の記憶があるかもしれない。
私は両親が亡くなった後もこの家で暮らしていこうと考えています。
物理的な財産もそうですが、この家には私だけじゃなく両親や祖父母、姉夫婦、親戚、私の先祖からの人々の大切な記憶が宿っているので。
この家がもし壊れて私一人になっても、自分が生きている限り家族と過ごしてきた大切な記憶は残ります。
【義務】のようにみられますが、これは私自身が望んで受け入れている事です。
だからきっとあずささんにも、もしかしたら貴方がまだ知らない大切な記憶が御自宅のどこかにあるかもしれませんね。(^_^)
【ふるさと】これからも共に大切にしていきましょう。
まだまだ暑い日が続きます、体調に気をつけて日々を過ごされて下さい。
ゆう
心の故郷は、つらい現実にいる自分が、お母さんの腕の中のような(あるいはお腹の中の胎児のような)、無条件な安心できる場所に戻りたい気持ちから来ているんだろうけど、もう大人になって、現実にはそうゆう場所はないかもけど、
外を遮断して想像レベルでも避難して、暖かく包んでくれる場所は欲しいですよね。
私はモロ空っぽのお風呂にぎゅうっと胎児ポーズでうずくまっていると、本能的にか、安心したりします苦笑
あるいは子供の時のぬいぐるみに顔をうずめたり、昔の匂いが気のせいでもかすかにするようで。
故郷なのに遠く感じるのは、目の前の現実に身を許せる「故郷」と言う場所の感触を掴めないからかもしれません。みんな人とのつながりの中で築く「故郷」を見失っているから、個人的なノスタルジア以上に人間の本能的に欲求からことごとく離されているからかもしれません。
でも私は目の前の同病者に心の「故郷」を切望するし、そこに人間の本来のつながりを見出す中で展望を感じています。
でも今を凌ぐのに心の故郷がつかみにくいのは、ほんともどかしいし、途方にくれますよね。
一緒に築いていければいいですね(^^)
りさ
お返事を頂きながら、お礼を言うのが遅くなってごめんなさい。
母の入退院や介護のことで、疲れきってしまって、ひどいうつが
出て来ていて、お一人おひとりが丁寧に書いて下さったメッセージにちゃんとしてお返事が出来ない状態です。
ほんとうに、こんな返信しか出来ずごめんなさい。
でも、お返事、ほんとうに有難うございます。
じゃまさん、ゆうさん、りささんから
それぞれに
ふるさとの香りのする風が吹いて来ているのでしょうね
あずさ
障がい者の方達がたくさん犠牲になったあの事件以来、
やりきれない深い悲しみのようなものがあります。
自分のこころの中で何かが崩れたような感じです。
そのような気持ちでいるのはわたしだけではないですね。
ここに言葉にして書けないくらいに、
いろいろなことを考えます。感じます。
こころの整理がずっと出来ないでいます・・・
というか、整理出来るようなことではないとも思うし
わたしのこころの中には
憤りや恐れとかよりも、
ただただ、深い悲しみがあります。
あの犯人のようなことをする人はめったにいなくても
あの犯人のようなことを思っている人はいると思います。
「障がい者なんかいなくなればいい」「税金の無駄遣い」・・・
こういう目に見えない観念がくすぶっている社会です。
この件について、誰も書いていらっしゃらないのでためらって
いましたけれども
独りで心の中にこういう気持ちを持たずに、話した方が良い
みたいなので、書かせて頂きました。
実は次回の例会は、スタッフから相模原事件についてみなさんとお話ししたいと提案する予定です。
あずささんと同じく、これはいろいろなご意見・お気持ちが渦巻くもので、けっして結論などを求めるものとしてではありませんが、
あの事件は歴史的に決定的なものを孕んでいて、現に戦後最大の殺害事件とも呼ばれていて、当事者会としてみなさんと向き合って気持ちを分かち合わないには、さけて通れないものだと感じました。
まずは、被害を受けた何十人もの障害者、その中でも誰とも変わらず尊い命を奪われた19名の障害者にとことん身を寄せるものとしたいと思っています。
そしてあずささんのおっしゃるように、あの青年の中に根付いてしまった考えが、けっして彼に特異なものではない悲しい現実があること、それがどうしてそうあるかということ、皆さんと考えることを通してでしか、私たち自身の中の何かが整理つかないものがあると思います。
あずささんがおひとりで抱えていたお気持ちに、すぐにでもレスができずにいて、申し訳なかったです。
あずささんも、例会の報告が出た時に読んでいただき、また気持ちを共有していただければ幸いです。
りさ
そうなのですね、次回の例会で、あの事件のことをみなさんで
ともに話し、考えるのですね。
とても有難いです。
社会に蔓延している
ある種の、病的で貧弱な「人間観」「生命観」「価値観」が、
どんどん膨張して、目に見えない負のエネルギーとなり、
ある日、ある条件がそろって、
目に見える姿となったのが、
あの犯人の青年であり、彼のしたことだという印象を持って
います。
あの犯人は犯人個人として
取り返しのつかない大きな罪を犯したけれど、
あの犯人の姿は、
「社会の闇の顔」を代表しているとも感じます。
例会のご報告、お待ちしています。
スタッフのうらです。
まずはこの件に関して掲示板に書き込んでくださったこと、ありがとうございます。あずささんのコメントには、共感する部分がたくさんありました。
昨日行った例会の報告をUP致しました。
昨日は、1時間弱かけて、参加者のみなさんとこの事件について話し合いました。拙い記録ではありますが、ぜひご覧ください。
私もこの事件についてはさまざまな思いがあり、不満や怒りや寂しさや空虚感や、それでいて自分もこのように生きているうちにこの容疑者と共通のある種の側面が、超えてはならない一線を越えてしまわないか、という不安も覚えていました。
昨日の話合いで、自分にはなかったさまざまな視点が得られたことは、たぶんこれからの考え方になんらかの影響を及ぼすおおきなものであったと感じています。
あずささんも、この記録から何かしらを感じていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
何度も読ませて頂いています。丁寧に話し合われた様子が伝わって来ます。
わたし自身も、被害者にも加害者にもなりうるのかもしれないと思います。どんな人の中にも、自分の中に目をそむけたいような「闇」があるのだろうなとも思います。
うらさん、有難うございます。
こんばんは!
今日は躁うつ病のご家族がおられる方が参加してくださいました。貴重なお話をお聞きすることができたことに感謝いたします。
港区では家族会(陽だまり)というものがあるようです。
都内でも少ないと思いますので、情報としてお伝えいたします。
http://www.minatolibra.jp/group/profile/profile-data/2014121501054/" target='_blank'>http://www.minatolibra.jp/group/profile/profile-data/2014121501054/
7月の報告
http://d.hatena.ne.jp/iimon57/20160707/1467839584" target='_blank'>http://d.hatena.ne.jp/iimon57/20160707/1467839584
【場所・アクセス】
みなとパーク芝浦(建物全体をこう呼びます)JR田町駅 東口(芝浦口) 徒歩5分
その中の2階「港区立男女平等参画センター(愛称「リーブラ」)」のお部屋を借りて開催。
http://www.city.minato.tokyo.jp/kosodatesien/kodomo/kodomo/shienshisetsu/appyshibaura.html" target='_blank'>http://www.city.minato.tokyo.jp/kosodatesien/kodomo/kodomo/shienshisetsu/appyshibaura.html
乳幼児同伴についてはお問合せをお願いします。
駅周辺の乳幼児一時預り「子育てひろば あっぴぃ芝浦」は、みなとパーク芝浦・田町駅から徒歩5分ほどです。
【所在地】芝浦3-1-16 しばうら保育園1階
【連絡先】電話:03-5730-3252
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物心ついたころから字を読むことが苦手でしたので、今までこのサイトに入ったことはありませんでした。使い方が間違っていましたら口頭で教えてくださると助かります。